カルチャー

2018年7月17日 (火)

映画「バトル・オブ・ザ・セクシーズ(Battle of the Sexes)」

00 伝説的な女子テニスプレーヤー、ビリー・ジーン・キング(Billie Jean King)の“性差を超えた戦い”を描いた作品です。主役を「バードマン」「ラ・ラ・ランド」のエマ・ストーン(Emma Stone)、対戦相手のボビー・リッグス(Bobby Riggs)を「フォックスキャッチャー」「マネー・ショート」「30年後の同窓会」のスティーブ・カレル(Steve Carell)が演じるというキャスティングにも惹かれますが、それにも増して興味深いのが1973年に行われたこの試合のテーマがウーマンリブと男性優位主義の対決ということ。

ジャック・クレーマーが主催するPacific Southwest Championshipsの女子優勝賞金が男子の12分の1に過ぎないことに抗議してWomen’s Tennis Association(WTA)を立ち上げたキング夫人(と日本では呼ばれていました)の主張と活動は、先ごろの「ゲティ家の身代金」追加撮影やニュースキャスターのキャット・サドラーの一件で注目を集めたギャラ格差問題など半世紀近く経った今もなお男女同権運動の背骨であり、ある意味、タイムリーな作品と言えます。

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監督は「リトル・ミス・サンシャイン」のアカデミー作品賞ノミネートで脚光を浴びたジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス(Jonathan Dayton & Valerie Faris)。元々はミュージックビデオや企業広告の分野で活躍していた夫婦です。脚本は「スラムドッグ$ミリオネア」でアカデミー賞を獲ったサイモン・ボーファイ(Simon Beaufoy)で、同作のダニー・ボイル(Danny Boyle)監督もプロデューサとして参加しています。このスタッフの顔ぶれでおわかりのように、ウーマンリブをテーマにしながらも政治色を前面に打ち出さず、明るくユーモラスな作品に仕上げています。テンポの良い展開と気の利いた会話、当時の雰囲気を伝えるカラフルなファッションが楽しい映画です。

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物語は女子テニスの世界チャンピオンであり、ウーマンリブ運動の象徴でもあるビリー・ジーン・キングに光を当てつつ、既婚者でありながら同性愛に傾いていく心の揺れを描いていきます。時代は1973年。その前年の全米オープン準決勝でライバルのマーガレット・スミス・コート(日本ではコート夫人)を破って優勝を果たしたキングでしたが、賞金の男女格差に強い憤りを感じて、ワールド・テニス誌の発行人であるグラディス・ヘルドマン(Gladys Heldman)が主催する女子テニスの大会、Virginia Slims Circuitに参画します。

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大会の顔であるキングのもとに、第二次大戦時にテニス界のスターだったボビー・リッグスから電話があります。ウーマンリブの闘士であるキングと男性優位主義者(male chauvinist)であるリッグスがコート上で対決することで、賞金の男女格差の理由が明らかにしようという挑戦です。といっても、リッグスに強い思想性があったわけではないようで、どちらかというと興行的な意味合い、目立つこととそれで得られる収入が目的だったようです。

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その申し入れをキングが拒否したことから、リッグスはコート夫人を巻き込んで、5月13日の母の日に男女対決を実現させます。55歳のリッグスと30歳のコートの対決でしたが、6–2、6–1でリッグスが圧勝。カリフォルニア州ラモナで行われた試合には5,000人のファンが集まったそうですので、脚光を浴びるという目的はそれなりに達成できたようです。

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その結果に挑発されるかたちで9月20日、キング対リッグスの対決が実現します。試合が行われたテキサス州ヒューストンのアストロドームには30,472人が集まり、ABCネットワークを通じて全米5,000万人、世界9,000万人がテレビ観戦したそうです。興行的には大成功と言えるでしょう。

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映画では、この試合に至る過程でヘアドレッサー(実際は秘書だそうですが)のマリリン・バーネットに惹かれ、夫ラリー・キングとの間で葛藤するビリー・ジーン・キングの姿が描かれます。こういう映画を観るとどうしてもファクト・チェックがしたくなりますが(ちなみに“ファクト”はこの映画のキーワードの一つです)、ビリー・ジーンとマリリンの関係は映画のように美しく終わらなかったようで、彼女との後日談を読んでいてgalimonyという単語を覚えました。同棲相手と別れる際に支払う手当をpalimonyと呼ぶのに対し、同性愛者限定(特に女性同士)で使われる言葉だそうです。勉強になりますね。

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それはさておき、映画ではビリー・ジーンを演じたエマ・ストーンとマリリンを演じたアンドレア・ライズボロー(Andrea Riseborough)の組み合わせがとっても良い感じです。2人がドライブするシーンではラジオからエルトン・ジョンのRocket Manが流れていますが、エルトン・ジョンはビリー・ジーン・キングのファンだったそうで、彼女に捧げたPhiladelphia Freedomという曲(Youtube)もあります。

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その他、主な出演者としてはグラディス・ヘルドマン役で「テイク・ディス・ワルツ」のサラ・シルバーマン(Sarah Silverman)、元テニス選手でデザイナーのテッド・ティンリング(Teddy Tinling)役で「チョコレートドーナツ」のアラン・カミング(Alan Cumming)、ジャック・クレーマー役でビル・プルマン(Bill Pullman)、リッグスの妻のプリシラ役でエリザベス・シュー(Elisabeth Shue)が出ています。

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公式サイト
バトル・オブ・ザ・セクシーズBattle of the Sexes

[仕入れ担当]

2018年7月16日 (月)

ミケランジェロと理想の身体 国立西洋美術館

さまざまな分野で傑作を創り出した天才芸術家ミケランジェロ。日本での人気も高く、一昨年はパナソニック汐留ミュージアム、昨年は三菱一号館美術館で観ましたが、この夏は上野の国立西洋美術館に、世界に約40点しか現存しないミケランジェロの大理石彫刻から傑作2点が初来日しています。この貴重な作品を中心に、古代ギリシャやローマとルネサンスで追求された男性美、理想の身体を紹介していく展覧会です。

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20歳を過ぎたばかりのミケランジェロが手掛けた《若き洗礼者ヨハネ》は、20世紀前半のスペイン内戦でバラバラに壊されてしまいますが、20年近くかかった修復が2013年に完了。スペインとイタリアで計2回、修復後の作品が公開され、次いで日本にやってきました。オリジナルの現存部分は全体の40%程度で、14個の大理石断片を合成素材で補完したものですが、今後新たな断片が見つかった際に差し替えられるようにマグネットで接合しているそうです。

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ミケランジェロも影響受けたと言われる古代彫刻《ラオコーン》の模刻、ぷくぷくとした体つきで愛らしい表情の《プットーとガチョウ》、右脇腹に相手の左足の蹴りが入ったと目される痕跡のある《レスラー》、左手で棍棒をもち、左足に体重をのせたポージングの《ヘラクレス》立像など、当時の芸術家たちが追い求めた理想の身体表現が堪能できます。

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ミケランジェロと理想の身体
http://michelangelo2018.jp/
2018年9月24日(月・祝)まで

[店長]

2018年7月10日 (火)

映画「告白小説、その結末(D'après une histoire vraie)」

00 ロマン・ポランスキー(Roman Polanski)監督の新作です。前作「毛皮のヴィーナス」に続いて妻のエマニュエル・セニエ(Emmanuelle Seigner)が主役を演じ、フランス語での映画出演は13年振りというエバ・グリーン(Eva Green)、「ル・コルビュジエとアイリーン」「ダリダ」のヴァンサン・ペレーズ(Vincent Perez)、「ミックマック」「天才スピヴェット」のドミニク・ピノン(Dominique Pinon)が共演しています。

物語は、自殺した母親をモチーフにした半自叙伝的な小説がヒットし、次作が期待されている女流作家デルフィーヌが、彼女のファンと称する不思議な女性と出会ったことで、彼女のペースに巻き込まれ、精神的に不安定になっていくというもの。エル(フランス語で彼女を指すElleと同音)という名のその女性の存在がリアルなのかヴァーチャルなのか曖昧にしたまま展開するサスペンスです。

原作はデルフィーヌ・ドゥ・ヴィガン(Delphine de Vigan)の小説(原作と英訳は映画と同じ題名。邦訳は「デルフィーヌの友情」)で、ロマン・ポランスキー監督と、「アクトレス」「パーソナル・ショッパー」の監督オリヴィエ・アサイヤス(Olivier Assayas)が共同で脚本化しました。細部はかなり端折られていますが、ストーリーは概ね原作を踏襲しています。

この小説はゴンクール賞とルノードー賞を受賞し、フランスではかなり読まれたそうです。そういう場合、小説と映画とどちらが面白いか、映画化したのは正解なのかという話になるわけですが、これについては若干のネタバレを含みますので後で書きます。

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映画の始まりは、ブックフェア(原作ではパリのSalon du livre)で行われたデルフィーヌのサイン会。そろそろ終わりにしようとしていたところに、デルフィーヌよりひとまわり若い女性が現れます。キリがないからとサインを断って内輪のパーティに移動したところ、キッチンで先ほどの女性と再会。この女性がエルで、会話しているうちに打ち解けていきます。原作ではパーティで会った見ず知らずのエルに、ファンから求められたサインを断ったことを後悔していると打ち明けて関係が始まる流れが自然ですが、映画のようにブックフェアで並んでいたファンが何故か内輪のパーティにいるという設定も不穏さを醸し出して良いと思います。

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そうして出会ったデルフィーヌとエルは一気に親しくなっていきます。その理由の一つがデルフィーヌのスランプ。ヒット作の次作ということで期待がかかっている上に、前作で身内の不幸をネタにしたことに良心の呵責を感じています。そういったプレッシャーでなかなか書き出せないでいるところに、利害関係なく語り合える友人ができれば、気兼ねなく真情を吐露できます。そしてもう一つの理由は、原作では特にこの部分が強調されているのですが、エルの装いや身のこなしがデルフィーヌが理想とするスタイルだったから。

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映画ではエマニュエル・セニエが演じていることもあってゴージャスで自信に溢れたデルフィーヌですが、原作ではフォリ・メリクール通り68のエレベーター無しの7階に住み、Super Uやバスティーユのマルシェで買い物をする冴えない女性です。対するエルは常にきちんとした身なりとメイクで隙がありません。デルフィーヌは出会ったときのエルの着こなしを“ジェラール・ダレル(Gerard Darel)のブランド広告のようなシンプルモダン”で、彼女は“まさしく私が幻惑されてしまうタイプの女性”と表現します。エルの洗練された印象に魅惑され、惹きつけられるのです。

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元々コンプレックスが強い上に、今回は実力以上に評価されたのではないかと弱気になっていたデルフィーヌの心の隙間にエルはすっと入り込んできます。そして彼女の存在が次第に大きくなり、デルフィーヌの創作のみならず私生活にまで影響を与えるようになります。恋人のフランソワはエルの存在を訝しみますが、仕事で米国に発つことになってデルフィーヌを支えることができません。閉じた世界の中でデルフィーヌとエルの関係がどんどん煮詰まっていき、身動きがとれない段階まで進んでしまいます。

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小説家がファンに追い込まれていくという設定は「ミザリー」と似ています。このことは小説ではエピグラフで予め示されていて、3章から成る作品の1章と3章が「ミザリー」からの引用、2章は同じスティーヴン・キングの「ダークハーフ」からの引用です。この2作への言及がなくても、作家と主人公が同名である時点でお気づきかも知れませんが、この小説は一種のメタフィクションです。その面白さがうまく映画にとりこめず、TVドラマのような平板な仕上がりになっているような気がします。

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デルフィーヌは、半自叙伝的な小説が当たった後、次の作品をフィクションにしようと考えています。ところが多くの読者は彼女本人に興味と共感を抱いていて、エルも真実を書くべきだと迫ります。それ対してデルフィーヌは、フィクション(虚構)、オートフィクション(自伝的小説)、オートビオグラフィ(自伝)の境界は明確ではない、書く行為が真摯なものであれば、それが真実であろうが虚構であろうが関係ないと訴えるのです。そして、エクリチュール(書く行為)について、学生時代にロラン・バルト(Roland Barthes)やジェラール・ジュネット(Gérard Genette)、ルネ・ジラール(René Girard)、ジョルジュ・プーレ(Georges Poulet)を学んだ同士という立場で議論されます。

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また、映画でも会話にドン・デリーロ(Don DeLillo)、イアン・マキューアン(Ian McEwan)、ジェイムズ・エルロイ(James Ellroy)といった小説家の名を挟んで文学的な雰囲気を醸し出していましたが、原作小説に記されている小説家はよりマニアックです。

たとえばエルの空想の友達ジィジー(映画ではキキ)の話は、サリンジャー(J.D.Salinger)とグザヴィエ・モメジャン(Xavier Mauméjean)の小説の混合ですし、その他にもエルの作り話のネタとしてヴェロニク・オヴァルデ(Véronique Ovaldé)、アリシア ・エリアン(Alicia Erian)、ジェニファー・ジョンストン(Jennifer Johnston)、エマニュエル・ベルナン(Emanuel Bergmann)、ギリアン・フリン(Gillian Flynn)といった小説家の名が挙がります。

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ということで、いろいろと含みや仕掛けがあり、エンターテイメント性が高いサスペンスなのに適度に衒学的といったタイプの小説です。ですからこの映画、原作小説を読んでいて、ポランスキーとアサイヤスが2人がかりで手がけたと知って観に行くと、ちょっと期待ハズレかも知れません。だからといって映画がダメということではなく、役者も良いことですし、気軽なドラマとしてでしたら安心して観ていられる思います。

公式サイト
告白小説、その結末D'après une histoire vraie

[仕入れ担当]

2018年7月 8日 (日)

映画「万引き家族」

00 話題作ですね。今年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞し、祝意を述べるとかで日本の文科相がドタバタを演じていました。そのおかげもあって多くのメディアで紹介されましたので概要をご存知の方が大半かと思いますが、思いのほか難しい映画ですので、事前情報なしに観るとわかりにくいかも知れません。

ストーリーそのものは単純です。血縁でも何でもない三世代の男女が家族のように暮らしていたところに、両親からの虐待を受け、戸外にいた小さな女の子を連れ帰ったことで、それまで微妙なバランスで成り立っていた生活が崩れていくお話。

映画の出だしは、中年男性とその息子のような少年が連携して万引きするシーンで、場所がスーパーマーケットですので生活苦ゆえの犯行のように見えます。ところがこの疑似家族、それほど貧しくないんですね。家は狭いし、散らかっているし、裕福でないことは一目瞭然ですが、老婆には年金収入があり、それ以外の人たちは働いていますので幾ばくかの収入があるはずです。それなのに、なぜカップ麺やシャンプーといった安価な食品や日用品を万引きするかといえば、この人たちが一般的な社会規範から逸脱している人たちだから。

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傍目には、祖母、夫婦、娘と息子という構成の家族ですが、実は持ち家で年金暮らしの老婆のもとに吹きだまりのように集まった他人たち。その結びつきからして既に世間の常識から逸れていますので、老婆がたかりのようなことをするのも、娘のような位置付けの少女が性風俗で働くのも、出玉泥棒も車上狙いもどれも当たり前の日常なのです。

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そういう意味で、寒さに震えていた小さな女の子を、勝手に連れてきて住まわせることも自然です。そもそも、息子のような位置付けの少年も、松戸のパチンコ屋に停められていた習志野ナンバーの赤いヴィッツから連れてきた子どもですし、娘のような位置付けの少女は、後で背後関係がわかってきますが、ざっくり言えば家出少女です。どちらも警察沙汰になればただでは済みません。文字通り無法者、法律から外れたアウトローたちですが、そんな彼らが家族という古い枠組みを装い、信じようとするところに面白さがあります。

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是枝裕和監督の作品は「誰も知らない」しか観たことがありませんので、作風はよくはわかりませんが、どちらの作品も社会一般とは異なる規範を持って生き抜いている人たちを描くことで、大多数が信じている制度に疑問符を投げかけているように思います。本作でいえば、血の繋がらない家族であり、犯罪や性風俗の収入が公的年金と同列にある人たちです。

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上で松戸のパチンコ屋と書きましたが、映画の舞台になっているのは荒川区から台東区にかけてのエリアのようです。隅田川の花火が聞こえてきたり首都高向島線が映る場面がありますし、三ノ輪のアーケード街や合羽橋の朝日信金が出てきます。安藤サクラ演じる妻はその昔、西日暮里の風俗店で働いていて、リリー・フランキー演じる夫と出会ったというくだりもあります。

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ちなみに、この妻は信子、夫は治という名前で登場するのですが、どちらも偽名です。少年の名前もそうですし、少女の源氏名もそうですが、複数の名前を持ち、呼ばれ方が変化することがひとつのキーになっています。拾ってきた小さな女の子も、自分で名乗ったユリという名前の代わりにリンという名前で呼ばれ、最終的には名乗った名前がジュリの聞き違いだったことがわかります。

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映画の見どころは、もちろん安藤サクラとリリー・フランキー、そして老婆役の樹木希林の熟練の演技で、この3人の醸し出す雰囲気にぐんぐん引き込まれていきます。いつも思うのですが、リリー・フランキーはいろいろな映画に出演して稼いでいるはずなのに、貧乏くささ、インチキくささにどんどん磨きがかかっていきますね。

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そして子役たち。少年役の城桧吏は「誰も知らない」の頃の柳楽優弥を彷彿させる佇まいの男の子。また拾われる小さな女の子を演じた佐々木みゆは、いかにも親から虐待を受けていそうなリアリティがあり、エンディングは彼女の立ち姿だけですべてが表現されます。この場面をどう解釈するか、意見が分かれるところかと思いますが、いずれにしても存在感のある女の子です。

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万引き家族

[仕入れ担当]

2018年7月 2日 (月)

映画「男と女、モントーク岬で(Rückkehr nach Montauk)」

00 ドイツの巨匠フォルカー・シュレンドルフ(Volker Schlöndorff)監督の新作です。代表作「ブリキの太鼓」も3年前に観た「パリよ、永遠に」もナチス絡みでしたし、彼の妻が撮った「ハンナ・アーレント 」もそうでしたが、本作はドイツ現代史とはほとんど関係ありません。パウル・クレーの天使の絵画が出てきたり、登場人物たちがベルリン出身だったりするあたりにドイツとの繋がりがみられますが、舞台はニューヨークで会話もほぼ英語です。

映画は非常に凝ったタイトルバックに続いて、ドイツ人の小説家マックスがエア・ベルリン(去年破綻しましたね)でJFK空港に到着するシーンでスタート。彼のNY滞在中の出来事が1日目、2日目と順を追って描かれていきます。

まず初日は小規模の朗読会。長いモノローグのように聞こえますが、すぐに自作の朗読だったことがわかります。その小説のモチーフと、自らの実らなかった恋愛が重なり、映画で描かれる物語の背景説明になっています。

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マックスにはニューヨーク在住のクララという恋人がいて、周囲に妻だと紹介しますが、結婚はしていないようですし、もちろん一緒に暮らしているわけではありません。どうやら仕事を通じて知り合い、彼が版元に紹介してそこのインターンとして働いているようです。もしかするとドイツの出版社でマックスを担当していた編集者なのかも知れません。パーティ会場で同僚から“次作は君が主人公だね”と言われるあたりがちょっとした仕掛けになっています。

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ニューヨークでの担当編集者はリンジーで、彼女がプロモーションの仕切りからマックスの秘書的な役割まで果たしています。当然、マックスとクララの関係も知っていて、うまく公私のバランスを取りながらマックスの世話をしています。後々、2人の関係をクララが疑うシーンがあり、それでマックスが見境なく編集者に手を出すクズだとわかりますが、少なくとも序盤ではそういう雰囲気はありません。

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朗読会の終了後、マックスがむかし世話になったウォルターという資産家と再会し、この邂逅が17年前の記憶、小説のモチーフになっているレベッカとの思い出を蘇らせます。ウォルターから彼女の話を聞いたマックスは、連絡を取って欲しいとリンジーに頼みます。建前は翌日の朗読会への招待ですが、実はその会場になっている図書館は彼らの思い出の場所で、そこでレベッカと会うことがマックスにとって独りよがりな演出なのです。

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結局連絡がつかず、マックスはリンジーの案内でレベッカのオフィスに赴くことになります。大手の法律事務所らしい現代的なビルですが、かたやマックスは“骨董品屋のような身なり”で場にそぐわない雰囲気です。対する17年振りの彼女は、成功している弁護士らしく非常に洗練されています。その姿に憧憬を抱いたのか、好奇心をかきたてられたのか、レベッカに対する思いを新たにするマックス。リンジーが持っていた新刊本を渡すなど自己アピールに余念ありません。

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しかしレベッカの気持ちは醒めています。当然、朗読会にも現れません。そこで諦めるのが普通でしょうが、マックスはパーティの酒で酔ったまま、アポなしで彼女の自宅に訪れてしまいます。モニターで見たレベッカは無視を決め込みますが、一緒にいた友人のレイチェルが応答してしまい、マックスを自宅に迎え入れることに。これまた彼女の成功を象徴するような豪勢な部屋で、眺望だけでなく内装も家具も高級感あふれています。彼女の収入について訊ねるマックスの目に羨望が滲みます。

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その後いろいろあって、レベッカとマックスは思い出のモントーク岬に向かうことになります。その前に“骨董品屋のような身なり”を変えようと洋服を買いに行くくだりがあり、その店では丈直しをしないようでリンジーのアパートで裾上げしてもらうのですが、そこで彼女の部屋の狭さに驚き、家賃が1500ドルと聞いてさらに驚愕します。また終盤でクララの部屋を訪ねる場面があるのですが、そこも1階のケバブ屋のにおいが染みついた狭い部屋。彼女たちの部屋とレベッカの部屋の差は、マックスが住む世界とレベッカが住む世界の差でもあり、2人が会わなかった17年間に彼らがしてきたことの差なのです。

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レベッカと交際していた頃、マックスはプラトンの「饗宴」を諳んじたそうです。現在もクララから“物識りなところが好き”と言われています。日本にも“薔薇”と漢字で書いて見せて女性を口説くとうそぶいていた小説家がいましたが、要するにインテリジェンスを纏ってロマンティシズムを振りまく享楽主義者なのです。レベッカも若気の至りでそんなマックスに惹かれたわけですが、経験を積み重ね、大人になった今、その本質がはっきり見えるようになっています。

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マックスもそれに気付いていて、インタビューアから“最近は政権に対して保守的になったようだが”と問われ、“私は樹木ではない、動き回る動物なので常に立場が変わる”と答え、続けて経済的価値よりも文化的価値を強調しつつ自らをピノキオやドンファンやドン・キホーテに喩えてみせます。裏からみれば、刹那的に生きてきた結果、老いて守りに回りたくても、すがれるのは文化の香りしか残っていないという挫折感。彼の言葉や行動の端々に現れる経済的コンプレックスの根っこです。また終盤で描かれるウォルターから絵画を贈られる場面でも、芸術の本質的価値と金銭的価値についてマックスに自問させ、生き方の選択を暗に示します。

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ということで、表面的には過去の実らなかった恋に身を焦がすロマンティックな中年作家の物語ですが、本質的には既に取り返しのつかないところまで来てしまったことに未熟な男が気付く物語です。そういう意味で、いろいろな経験を経た大人向きの映画だと思います。

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主役マックスを演じたのは「ドラゴン・タトゥーの女」「メランコリア」「孤島の王」のステラン・スカルスガルド(Stellan Skarsgård)。彼のダメ男ぶりもリアリティがあってとても良かったと思いますが、やはりレベッカを演じたニーナ・ホス(Nina Hoss)の巧さが際立っていました。「東ベルリンから来た女」「あの日のように抱きしめて」をご覧になった方ならおわかりのように、微かな表情の変化で演技できる女優さんです。本作では撮り方の妙もあって、マックスが仰ぎ見てしまうような圧倒的な存在感をみせつけます。

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資産家ウォルターを演じたのは「預言者」「サラの鍵」「パリよ、永遠に」のフランスの名優ニエル・アレストリュプ(Niels Arestrup)。ほぼ英語の本作で彼だけはフランス語を交えて演じます。その他、クララ役はドイツ人女優のスザンネ・ウォルフ(Susanne Wolff)、リンジー役はイシ・ラボルド=エドジーン(Isi Laborde-Edozien)、レイチェル役は「アルバート氏の人生」に出ていたブロナー・ギャラガー(Bronagh Gallagher)が演じています。

公式サイト
男と女、モントーク岬でReturn to Montauk

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2018年7月 1日 (日)

大正モダーンズ 大正イマジュリィと東京モダンデザイン 日比谷図書文化館

映画、演劇、音楽、カフェ、ファッションなど大正から昭和初期にかけて花開いた大衆文化から生み出された、さまざまなグラフィックデザインを紹介する展覧会です。

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日本初のグラフィックデザイナー、モダンデザインを牽引した杉浦非水からスタート。柔らかな曲線で描かれたバラやユリが表紙の《みつこしタイムス》、大胆な構図で描かれた色鮮やかな蝶々や優しく微笑む女性が載る《非水図按集》など魅力的な作品の数々です。

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小林かいちの絵封筒、橋口五葉の浮世絵、藤島武二の口絵など出品作品には、さまざまな作風で描かれた美しい女性が多く登場します。カワイイの原点ともいえる当時の流行が今なお新鮮です。

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会場内のBGMは、ドビュッシー作曲の月の光や、ビゼー作曲のオペラカルメン第一幕で歌われるハバネラなど、セノオ楽譜で紹介された音楽です。大正ロマンの世界にどっぷりと浸れます。

大正モダーンズ 大正イマジュリィと東京モダンデザイン
https://www.library.chiyoda.tokyo.jp/hibiya/museum/exhibition/taisho-modern.html
2018年8月7日(火)まで

[店長]

2018年6月25日 (月)

映画「30年後の同窓会(Last Flag Flying)」

00 リチャード・リンクレイター(Richard Linklater)監督の最新作は、これまでとは一風変わったバディムービーです。それも中年男性3人が繰り広げるロードムービー。原題のメッセージ性を無視した脳天気な邦題がついていますが、決して「エブリバディ・ウォンツ・サム!!」の30年後というわけではありません。ベトナムで一緒に戦った3人がある理由で再会し、彼らの会話を通じて米国と戦争の姿を描いていく作品です。

ある理由というのは息子の葬儀。イラクで戦死し、米国に送られた遺体がアーリントン墓地に埋葬されるので一緒に来て欲しいと、その1人が30年前の戦友に頼むのです。それぞれ違った人生を歩んできた3人が、21世紀の戦争をきっかけに往時の記憶を蘇らせていきます。

もちろんリンクレイター監督ですから、堅苦しかったり重苦しかったりする映画ではありません。また戦闘シーンもありません。「ビフォア・・・」シリーズや「6才のボクが、大人になるまで。」のように、軽妙な会話で笑わせながら、時折しんみりさせる作りになっています。

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映画は、ちょっと気弱な印象のラリー(通称ドク)が、ぱっとしないバーに現れるシーンで始まります。時は2003年12月13日。サダム・フセインが米軍に拘束される直前です。バーの店主サルは常連客に向かって政府批判をしていて、入ってきた客が知り合いだと気付きませんが、ドクが名乗ったことで、30年前に19歳の海軍衛生兵(corpsman)だったラリー・シェパードの記憶が蘇ってきます。

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その翌日、2人はドクの案内で教会に向かいます。そこで説教している黒人牧師を観てサルは驚愕。何とベトナムの荒くれ男ミューラーが聖職者になっていたのです。2人はミューラーの自宅に招かれ、彼の妻ルースから歓待を受けます。そこでドクが息子の死を打ち明け、葬儀への同行を頼みます。

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ベトナムで彼らに何があったか、明確に示されることはありませんが、会話から伝わってくるのは、ドクがいちばん年下だということ、彼らが何か悪さをして、その罪を背負ったドクが懲戒除隊(BCD)になって収監されたこと、それ故に2人はドクに借りがあることです。ですから、突然現れたドクが我が儘な依頼をするのも、それほど不自然ではないようです。

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ミューラーは脚を負傷して除隊になり、サルは再度ベトナムで戦って今も頭に金属が入っています。海軍刑務所に入れられたドクだけは五体満足で、後にその刑務所で職を得て息子をもうけていますので、誰がいちばん幸福だったのか、一概に言えないところがリンクレイター監督のうまさかも知れません。

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アーリントン墓地経由でデラウェア州のドーバー空軍基地に向かった3人。星条旗をかけた棺がいくつか並んでいて、その一つがドクの息子のものです。お悔やみを言いに来た大佐にドクは“息子の顔が見たい”と要望します。大佐は“頭を撃たれたので見ない方が良い”と助言し、ミューラーも同意しますが、サルは“自分だったら見ておく”とドクの背中を押します。

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結局、ドクは棺の中を見に行くのですが、残りの2人は、接遇してくれた兵士ワシントンと話すうちに海兵隊から伝えられた“敵の待ち伏せを受けて死亡した”という話がウソだと気付きます。続けてドクもそれを知ることになり、息子は軍の英雄としてアーリントン墓地に埋葬するのでなく、自宅に連れ帰り、近くの墓地に葬りたいと言い始めます。

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そしてベトナム帰還兵3人と、付き添いのTDYを言いつけられた兵士ワシントンの4人による珍道中が始まります。いろいろと面白いのですが、中でも印象深かったのはウィルミントン駅からペンシルベニア駅までの列車内での会話。貨車で棺の見張りをしていたワシントンのところに3人が行って、いわばドクの息子の通夜のような状況になるのですが、そこでサルが主導して猥談が始まるのです。

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くだらないといえば非常にくだらないのですが、ずっと生真面目さを漂わせていたドクも、声が裏返ってしまうほど笑い転げます。一人息子の棺の傍らで何より悲しいはずです。しかし、だからこそ、単純な下ネタがこれほどまでに可笑しいのでしょう。会話の運びが絶妙で、つられて笑うたびにドクの悲しみが染み入ってきます。

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その後も携帯電話を買ってふざけあったり、悪さの償いに行って本当のことを言えなかったり、軍服での埋葬をやめるつもりだったものを翻意したり、小さなトピックを積み重ねながら米国の戦争について多面的な考え方を示していきます。

リンクレイター監督らしく、フラッシュバックで過去の出来事を説明したりしませんので、すべては登場人物の語りで伝えられます。それが、生々しい映像とは違った臨場感を生み出し、観客を映画の世界に引き込んでいくのでしょう。

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ドクを演じたのは「フォックスキャッチャー」「マネー・ショート」と全く異なるキャラクターを好演してきたスティーヴ・カレル(Steve Carell)。本作の内気なドクと、次作「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」のボビーも対極にありますが、どう演じるか今から楽しみです。

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サルを演じたブライアン・クランストン(Bryan Cranston)は、「ドライヴ」や「ゴジラ」にも出ていましたが、どちらかというとTVドラマ「ブレイキング・バッド」で有名でしょう。彼の剽軽で傷ついたキャラクターが本作の大きな支柱になっています。

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そしてミューラーを演じたのは「君が生きた証」の楽器屋の役でいい味を出していたローレンス・フィッシュバーン(Laurence Fishburne)。彼と兵士ワシントン役のJ・クィントン・ジョンソン(J. Quinton Johnson)が黒人であることも、この映画の隠し味になっています。

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隠し味といえば、リンクレイター監督ですから、音楽の使い方も巧みです。エミネムの“Without Me”で笑わせたかと思えば、リヴォン・ヘルムの“Wide River to Cross”やボブ・ディランの“Not Dark Yet”でしみじみさせます。複雑な感情を織り込んだ結末を見事に着地させるエンドロールはさすがとしか言いようがありません。

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公式サイト
30年後の同窓会Last Flag Flying

[仕入れ担当]

2018年6月24日 (日)

TOPコレクション たのしむ、まなぶ イントゥ ザ ピクチャーズ 東京都写真美術館

「たのしむ、まなぶ」をテーマにした写真展です。所蔵作品34,000点以上を誇る TOP MUSEUM のコレクション展で、巨匠も若手も時代も交えた名作約140点を前に、想像力を膨らませながら楽しみ学んでいきます。

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ドレスをまとった一人の女性をオシャレをした人たちが見つめる一枚は、アンリ・カルティエ=ブレッソンが撮影した《クリスチャン・ディオールのファッションショー》。その目は羨望のまなざしなのか、はたまた厳しい審美眼なのか、イメージが広がっていきます。

和室で家族5人がならぶ記念写真は、井上孝治氏が手掛けた写真集「こどものいた街」の一作《福岡・春日》。お正月に撮影されたものでしょうか。おかっぱ頭の3姉妹がお澄ましをして、着物の晴れ姿にお揃いの髪飾りをつけています。

下の写真は、外国で撮影されたのかと思いきや、場所は大阪、1955年に撮影された木村伊兵衛氏の作品《大坂・中之島公園》です。チュチュをはいた2人の女性、そのお尻を覗き込む女の子、それぞれの表情が目に浮かぶよう。

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展示作品には、作家名やタイトル、制作年代は添えられていません。

撮られている人は何を見ている?どんな会話をしている?ほかに何が映っている?など、作品のなかから問いかけてきます。

TOPコレクション たのしむ、まなぶ イントゥ ザ ピクチャーズ
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3050.html
2018年8月5日(日)まで

[店長]

2018年6月19日 (火)

映画「ゲティ家の身代金(All the Money in the World)」

00 1973年に実際に起こった事件を下敷きにした映画です。その事件というのは、1957年にフォーチュン誌が掲載した金持ちリスト(Richest Living American)でトップになったジャン・ポール・ゲティの孫ジョンが、イタリアで誘拐されて巨額の身代金を要求されたというもの。

被害者ジョンの母親アビゲイルは離婚してゲティ一族ではなくなっていましたが、別れた夫(ジョンの父親でジャンの息子)ユージンはジャンキーで支払能力がなかったことから、元義父のジャンに頼ることになります。しかし吝嗇家で有名だったジャンはこれを拒否。最終的に身代金を値切って支払いに応じたのですが、おかげで開放されるまでに半年近くかかりました。

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映画はジョンがローマのファルネーゼ広場で誘拐される場面からスタート。その背景に当時のフィアットやヴェスパが何台も行き交っていて、さすがリドリー・スコット(Ridley Scott)監督、お金をかけるなぁと思いながら見始めました。コロッセオが映る場面など、セキュリティゲートや地下鉄工事をどうしたのか不思議ですが、古いフィルムのような映像といい、細かい部分まできちんと作り込まれてます。

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誘拐されたジョンは、最終的に開放されたのがポテンツァ、犯行グループにカラブリアのマフィアが関係していたということで、彼が登場する場面はイタリア南部と思われます。母親アビゲイルは自宅があるローマ市内とジャンの住居がある英国を何度も行き来し、それ以外にユージンが放蕩を尽くしていたモロッコ、ゲティ家が財産を築く礎となった中東の場面も出てきますので、ロケにもお金がかかっていそうです。

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ところが完成後、ジャン・ポール・ゲティを演じたケビン・スペイシーの問題が発覚して公開が危ぶまれることになります。急遽ジャン役をクリストファー・プラマー(Christopher Plummer)に代えて部分的に撮り直し、最終版の完成が公開1ヶ月前を切るという綱渡りになるのですが、その追加撮影でも、アビゲイルを演じたミシェル・ウィリアムズ(Michelle Williams)と、交渉人フレッチャーを演じたマーク・ウォールバーグ(Mark Wahlberg)のギャラの格差が問題になりました。

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内容的には、母親アビゲイルの覚悟や意志の強さを前面に打ち出した映画なのに、ケビン・スペイシーといい、マーク・ウォールバーグといい、女性蔑視を印象づける話題ばかり提供してしまったのは大きな失点だったのではないでしょうか。

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とはいえ、事件当時に80歳だったジャン・ポール・ゲティを演じるのは、58歳のケビン・スペイシーよりも、88歳のクリストファー・プラマーの方が向いているような気もしますし(同じ題材を扱ったTVドラマでは82歳のドナルド・サザーランドが演じています)、映画を観た印象としても適役だったと思います。

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ジョンの誘拐後、ジャン・ポール・ゲティは交渉人として元CIAのフレッチャーをイタリアに遣わせます。アビゲイルをサポートする役目なのですが、終映後に振り返ってみると、ジャンとアビゲイルの間を行き来するだけの単なるメッセンジャーで、たいした仕事はしていません。イタリア警察(というかカラビニエ)も役立たずですし、おまけに元夫のユージンがクズときてますので、そのおかげもあってアビゲイルを演じたミシェル・ウィリアムズの存在感が際だちます。

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ついでに書くと、1973年12月15日に救出されたジョンは、翌年の1974年に17歳で結婚したのですが、既に相手が妊娠5ヶ月という脳天気さ。その後、アルコール依存と薬物中毒に陥り、1981年には車いすの生活になっています。唐様で書く三代目といいますが、遊びの質が低すぎて唐様すら身につかなかったわけです。せっかく命拾いしたのに愚かですね。1993年に離婚し、2011年に英国で亡くなるまで母親アビゲイルが介護していたとのこと。莫大な資産がありますので、ちょっとイメージが違うかも知れませんが、いま日本で話題の「80-50問題」を思わせます。

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つまり父も子も薬物中毒のダメ男なのですが、ジョンの弟マーク・ゲッティは、ゲッティイメージズ(Getty Images)の創業者ということで、一族の男性全員がクズというわけではないようです。買収されたりしていますので経営の才覚はともかくとして、祖父の先見性は受け継いでいたのではないでしょうか。

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ということで、映画の外の話で終始してしまいましたが、けっこう面白い作品ですので、インフライトムービーなど暇つぶしに最適です。その他の出演者としては、犯人役でロマン・デュリス(Romain Duris)がいい味を出している他、ジャン・ポール・ゲティの弁護士役でティモシー・ハットン(Timothy Hutton)が出ています。

公式サイト
ゲティ家の身代金All the Money in the World

[仕入れ担当]

2018年6月18日 (月)

映画「ビューティフル・デイ(You Were Never Really Here)」

00 今年のカンヌ映画祭で脚本賞と男優賞を獲得した作品です。監督が「少年は残酷な弓を射る」のリン・ラムジー(Lynne Ramsay)、主演男優が「ザ・マスター」「エヴァの告白」「her/世界でひとつの彼女」「インヒアレント・ヴァイス」のホアキン・フェニックス(Joaquin Phoenix)ですから、映画好きならカンヌの受賞に関係なく見逃せない1本でしょう。

最初に感想を書いてしまうと、個人的には素晴らしい作品だと思いました。ただ、これはジョナサン・エイムズ(Jonathan Ames)の原作を読んでいるという前提でのお話です。

原作を知らないと主人公の過去がよくわかりませんので、よほど映画に対する感覚が鋭い方でないと、細切れの映像でフラッシュバックする主人公の心象風景や、繰り返し出てくる数をカウントする声の意味などがピンとこないでしょう。そういう意味で観客を選ぶ映画だと思います。

粗筋をひと言でいうと、フリーランスで闇の仕事をしている海兵隊あがりの元FBI捜査官が、誘拐されて売春宿で働かせられていた少女を救う物語。この少女の父親が政治家であることから、その背景にある権力闘争をにおわせながら展開していくサスペンスです。

ただそれだけなのですが、そんな単純な話をリン・ラムジー監督がホアキン・フェニックス主演で撮るわけありません。ポイントは主人公が抱える心の闇にあります。

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ザ・マスター」では第二次大戦のトラウマにとらわれて新興宗教に逃げ込んだフレディを演じたホアキン・フェニックスですが、本作では第一次湾岸戦争によるPTSDと、幼少期の父親からのDVによるPTSDを抱えたジョーを演じます。さらに複雑なのがジョーの父親も朝鮮戦争で心が壊れてしまった人で、それが原因で家族に暴力を振るうようになったということ。父子二代が戦争によるPTSDという米国ならではの家族なのです。

第一次湾岸戦争というのはクウェートに侵攻したイラクを多国籍軍が攻撃したものですが、ご存知のようにこの戦争には米国を中心とする西側諸国のさまざまなウソがありました。その際、ジョーはサウジアラビアのカフジで戦い、地上戦を経験した者ならではの悲惨な状況を目にすることになります。

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海兵隊をやめた後、ジョーはFBIの性的人身売買対策本部で覆面調査官の職を得ますが、そこでも悲惨な状況を目の当たりにすることになります。食肉用冷蔵トラックに積まれた30人の中国人少女の遺体。少女たちを移送していたマフィアが、FBIの捜査が迫っていることを知り、荷室に排気ガスを送り込んで口封じを図ったのです。かろうじて持ち堪えていたジョーの心がこれで壊れてしまいます。

少年の頃、父親の暴力から逃れるためクローゼットに隠れると、怒りの矛先が母親に向かいました。クローゼットから出れば自分が殴られますので、黙って母親の悲鳴を聞き続けるしかありません。卑怯な自分に対する怒りが、身体を鍛えることに繋がり、海兵隊やFBIでの仕事に繋がっていきます。そして目にするのが暴力に怯え、傷つく人たち。最終的に行き着いた先が自らを無にするという空想で、止め処も無い自殺願望にとらわれながら闇の仕事を請け続けることになります。

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映画の幕開けにある、ビニール袋を被って自殺を試みているジョーは、何度も死のうとしながら、かろうじて生き延びているという状況を示しています。

老いた母親と2人暮らしのジョー。闇の仕事である以上、自宅の場所を知られるわけにはいきませんので、雑貨屋の店主エンジェルにカネを渡し、仕事の発注者であるマクリアリーからの連絡を取り次いでもらっています。ある日、自宅の裏口のドアから入ろうとすると、近くの家のベランダにエンジェルの息子モイセスがいることに気付きます。友だちの家に遊びに行ったモイセスが、隠れて煙草を吸おうとしたら、偶然、ジョーの自宅を見つけてしまったというわけです。

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知らないことは、どんなに脅されても話せませんが、知ってしまった以上、ジョーを狙う人間がエンジェルに行き着いた途端、ジョーのみならず彼らも危険に晒されます。その後、マクリアリーの事務所に行った際、連絡先をエンジェルから変えるつもりだと伝えるのですが、そのときデスク上のローロデックスを破らせれば良かったとその先で後悔することになります。

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今回の仕事はヴォット議員の娘ニーナの奪還。行方知らずだったのが議員のもとに脅迫が届いて居所の当たりが付いたのです。

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もちろん偽の情報かも知れませんので、ジョーはプロフェッショナルらしく入念な準備をして売春宿を急襲します。ちなみに原作では、指紋を残さないように何かにつけて手術用手袋をしますが、映画では生々しさを出すためか素手のままです。ハンマーを武器にするのは原作通りです。

その一室で客の相手をさせられていたニーナを見つけるわけですが、彼女はその行為から気を逸らすため数をカウントし続けています。この苦しみもいつか終わる、この瞬間を耐えれば何とかなるという自己暗示です。そしてこれが、少年時代のジョーがクローゼットに隠れていたときの意識を呼び戻します。

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ニーナの救出は成功しますが、議員のいるホテルに連れ帰るなり思わぬ状況に出くわします。議員の立場や状況は原作と大きく異なりますが、ニーナを奪われ、ジョーが狙われるという流れは同じで、最終的に原作にはなかった結末に到達します。

ほとんどがホアキン・フェニックスの渾身の演技で埋められ、そこにニーナを演じたエカテリーナ・サムソノフ(Ekaterina Samsonov)が絡んでくるという作品です。彼女は「ワンダーストラック」にも出ていたそうですが、それと異なり本作では特にエンディングで強い印象を残しましたので、今後に期待というところでしょう。

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邦題は彼女がエンディングで呟く言葉からとられています。とはいえ、やはりジョーが主人公の映画ですから、原題の“You Were Never Really Here”の方が彼の虚無感を端的に表していて、観客に親切な題名だと思いました。

公式サイト
ビューティフル・デイYou Were Never Really Here

[仕入れ担当]

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