カルチャー

2017年6月26日 (月)

映画「セールスマン(Forushande)」

00 去年のカンヌ映画祭で脚本賞を獲った作品です。監督は「別離」「ある過去の行方」のアスガル・ファルハーディー(Asghar Farhadi)。主演は「彼女が消えた浜辺 」で姿を消す女性を演じていたタラネ・アリシュスティ(Taraneh Alidoosti)と、「別離」で家政婦の失業中の夫を演じていたシャハブ・ホセイニ(Shahab Hosseini)で、ホセイニは本作でカンヌ映画祭の主演男優賞を受賞しています。

これまでと同じく精緻な心理描写を駆使した作品で、関係を修復しようとすることで破滅に向かってしまう夫婦を描いていきます。

主人公の高校教師の夫エマッドとその妻ラナの2人は劇団に所属していて、アーサー・ミラー「セールスマンの死」の上演を控えて練習に励んでいます。映画の冒頭で映し出されるネオンはその舞台の大道具。イランで米国の戯曲を公演するのはなかなか大変らしく、当局の規制を皮肉るシーンが何度も出てきます。

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続く場面は、夫婦が住んでいたアパートが隣地の工事のせいで倒壊しそうになるシーン。住み続けるのは危険だということで新居探しを始めたところ、劇団員の1人が管理するアパートの部屋を斡旋してもらいます。

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ところがこの部屋、鍵がかけられた1室を開けると前の住人の家財道具が詰め込まれていて、その住人いわく、転居先が決まるまで置いて欲しいとのこと。その言い分に納得できないラナは、残された荷物を共用部に運び出し、自分たちが暮らしやすいように住まいを整え始めます。

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ある晩、ラナは夫から帰宅前の電話を受け、すぐ帰ってくると思って玄関の鍵を開けたままシャワーを浴びます。

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しかし、ドアから入ってきたのは別人。暴行を受けて意識を失い、隣人の手で病院に運び込まれます。病院で事件の経緯を知ったエマッドは犯人への憎しみで一杯です。

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犯人が置き忘れていった鍵を手がかりに、近場に停められていたトラックを見つけ出し、その所有者を割り出していきます。

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もちろんエマッドは今まで通り、高校に出勤していますし、劇団の練習にも参加していますが、ラナは恐怖に取り憑かれていて今まで通りの生活に戻れません。犯人は娼婦だった前の住人の客か、前の住人が逆恨みして差し向けた男か、いずれにしてもこの部屋に関係していることは間違いありません。

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エマッドは警察に通報することを勧めますが、性犯罪の被害者であることを公にしたくないラナは拒絶します。それなら事件のことを忘れて、日常を取り戻すしかないと説得しますが、さらにふさぎ込んでしまう感じです。イランの社会規範もあるでしょうし、自らのミスが招いた事件だという事実もあるでしょう。思い出す度に自らを追い込んでいってしまうのです。

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犯人を罰したいという気持ちが収まらないエマッドと、事件そのものを記憶から消し去りたいラナ。お互いのことを大切に思っているにもかかわらず、相手の気持ちを踏みにじる方向に進んで行き、気持ちがすれ違っていきます。そこに、セールスマンの死亡保険金で住宅ローンを返済し、家庭崩壊の危機を乗り越えたものの、もはや家族団らんは望めないという舞台劇の不条理が重なります。

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現代的な生活を営む主人公夫婦は、前住人や犯人の家族と階層が違います。もちろん、イスラム圏ならではの特殊性もあります。そういった社会的な要素をうまく取り込んでいるのも、この監督ならではです。

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エンディングはオープンエンドで、観客の想像に委ねる形式になっています。突然崩壊し始めたアパート、元通りに戻れないセールスマンの家庭といったイメージが散りばめられていますので、覆水盆に返らずという気分になりますが、見ようによってはいろいろ考えられます。映画好きの方と語り合いたくなる、そんな作品です。

公式サイト
セールスマンThe Salesman

[仕入れ担当]

2017年6月25日 (日)

ジャコメッティ 展 国立新美術館

20世紀を代表する彫刻家、アルベルト・ジャコメッティの大回顧展です。

代名詞ともいえる細く長く削がれたフォルムの作品から、アフリカやオセアニアの彫刻、キュビズムの影響が伺える初期の作品まで、フランス・ニースにあるマグリット&エメ・マーグ財団美術館のコレクションを中心に彫刻、油彩、素描、版画など約130点がご覧になれます。

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会場入り口に置かれた女性立像「大きな像(女:レオーニ)」や、長い鼻と大きく開いた口、くぼんだ目元が特徴的な「鼻」も見所ですが、晩年の大作「歩く男Ⅰ」「大きな女性立像Ⅱ」「大きな頭部」の3点が本展の目玉になっています。

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展示方法もユニークです。壁をくり抜いたスペースに数センチの小さな像を置き、その向こうに見える別会場の高さ2.76メートルの像と対比するなど、遠くのものは小さく、近くのものは大きく、見えるものをそのままに表現するというジャコメッティの目線を表しているかのようです。

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ストイックな制作スタイルで知られるジャコメッティ。モデルは長時間にわたって動くことを許されず、ずっとアトリエにこもったままポーズをとらされていたそう。

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スイスの写真家エルンスト・シャイデッガーが撮影したアトリエでの姿、気晴らしに訪れたカフェで即興的に描いたといわれるデッサン、モデルのひとりで1956年から61年にかけて交流のあった日本人哲学者・矢内原伊作とのエピソードなどからジャコメッティの素顔にも迫ります。

ジャコメッティ 展
http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/
2017年9月4日(月)まで

[店長]

2017年6月23日 (金)

クエイ兄弟 ー ファントム・ミュージアム ー 展 渋谷区立松濤美術館

ロンドンを拠点にアニメ、映画、コマーシャル、舞台美術など幅広い分野で活躍しつづけている双子のクエイ兄弟、スティーブン・クエイとティモシー・クエイの展覧会です。

1960年代後半、フィラデルフィア芸術大学在学中に手掛けたというフランツ・カフカの短編やレオシュ・ヤナーチェクの音楽に基づいたドローイングから、気鋭の映像作家として注目を集めはじめた80年代半ばの頃のフィルム作品やそのセットを再構成した模型、近年制作された舞台美術まで、彼らの活動を網羅的に紹介しています。

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特に引きつけられたのは、デコールという小さな箱に収められた模型。映像作品で実際に使われた人形や背景のセットを再構成したもので、接写レンズで観たり、窓やドアの隙間から覗き込めるものもあります。

本展のポスターになっているアニメーション「ストリート・オブ・クロコダイル(Street of Crocodiles)」のデコール「仕立て屋の店内」には、無表情のパペット、針、糸、はさみなど不安要素がちりばめられています。片隅に置かれた赤・青・緑の生地がセピア色の空間に際立ち、緊張感をあおります。

コミカルなタッチのフィルム「カリグラファー」については、その試作コラージュやデコールも展示。さまざまな角度から作品を観ることができ、二人の独特な美の世界にハマります。

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クエイ兄弟 ファントム・ミュージアム 展
http://www.shoto-museum.jp/exhibitions/173quay/
2017年7月23日(日)まで

[店長]

2017年6月19日 (月)

映画「ローマ法王になる日まで(Chiamatemi Francesco - Il Papa della gente)」

00 先月、仕入の合い間にシスティーナ礼拝堂を見学し、バチカンへの興味が高まっていたこともあって観に行ってきました。ちなみに私はクリスチャンではありませんし、その他、特定の宗教に対する信仰もありません。

この映画は現ローマ法王(教皇)フランシスコが、コンクラーベを前に過去を追想するスタイルで展開します。具体的には若き司祭ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(Jorge Mario Bergoglio)がアルゼンチンの軍政時代、いわゆる汚い戦争(Guerra Sucia)の時代をどう生き抜き、それが法王の現在の姿にどう繋がっていくのか、といったあたりがポイント。結果的にアルゼンチン近代史を描いた部分が中心となりますので、特にカトリックに関する知識がなくても楽しめる作品になっていると思います。ついでながら会話はほとんどスペイン語です。

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ご存知の方も多いかも知れませんが、ホルヘはもともとブエノスアイレス大学で化学を専攻していた人。大学卒業後、イエズス会の神学校で学びます。一時的にHickethier-Bachmann研究所の食品部門で働いていたそうで、映画に登場するエステル・バッレストリーノ(Esther Ballestrino)は当時の上司です。この偶然の出会いがベルゴリオに大きな影響を与えることになります。

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映画の幕開けは、神学校に入る前のホルヘが友人たちとバーに集まっているシーン。ペロン派か非ペロン派かといった政治談義を交わす、ごく普通の学生です。その約10年後、1969年に司祭となり、73年には30代半ばという若さでアルゼンチン管区長に任命されるのですが、映画の軸になるのがこの70年代。政治的混乱が続いていたアルゼンチンにペロンが復帰し、安定を図ろうとするものの国民の期待に添えず、ビデラ将軍による軍事独裁に突き進んでいった時代です。

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この最中に、教会への弾圧が強まり、ホルヘと親しかった司祭が粛正される事件が起こります。民衆を扇動するのは危険だと、ホルヘは忠告に出向くのですが、貧民救済という司祭の強い意志の前にあえなく屈し、悲劇的な結果を招きます。描かれている雰囲気から、背景には土着民とポルテーニョ(porteño)と呼ばれる白人中心の都市住民の格差問題がありそうですが詳しくわかりません。いずれにしても、ホルヘは深入りしないのです。

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この映画の良いところは、ホルヘを根っからの善人として描かず、こういった難しい状況に置かれた際、組織の側に立ってしまう弱さを見せるところでしょう。ホルヘはある意味、世渡り上手で、expectation managementに長けた人物なのですが、それを正義のオブラートで包み隠そうとしないあたりに映画の作り手の誠意を感じます。

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またエステルの娘が誘拐された際は、宗教指導者としての地位を利用してビデラ大統領に陳情します。結果的に娘は釈放されるのですが、その後、行方不明者の母の会で活動していたエステルが拘束されて殺害されてしまいます。

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ここでは、宗教関係者の密告が横行していた事実をさらっと描き、カトリック教会に対する批判も忘れません。なお、この行方不明者の母の会(Asociación Madres de Plaza de Mayo)は今もなお続いており、先日も、孫を捜し求めて活動する女性がBBCで取りあげられていました(I want to find my grandchild before I die)。

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ホルヘの人間味という面では、久しぶりに実家を訪ね、母と会話するシーンが印象的です。政治的弾圧と教会内部の確執で苦悩していた時期ですので、おそらく気分転換のつもりだったのでしょう。ところが母親から「毎日、祈っているだけで楽園のような生活ね」と気軽に言われてしまい、憤りを隠しながら、母の手料理を「おいしいよ」と食べきるホルヘ。映画で描くほどですから良く知られた逸話なのでしょうが、こういった負の感情を隠さず見せる法王にも好感が持てます。

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その後、ドイツに留学したホルヘは、政治的混乱から解放されて宗教的探究に没頭することになります。そこで出会ったのが、結び目を解くマリア(Maria Knotenlöserin)という絵画。複雑に絡み合ってしまった苦悩の結び目を、マリアが解いてくれるという信仰を描いたもので、それをアルゼンチンに持ち帰って布教のツールにしたようです。これがホルヘの気持ちを捕らえた要因に、アルゼンチンの複雑怪奇な近代史があったことは想像に難くないでしょう。

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ということで、Rolling Stone誌の表紙まで飾った稀代のスーパースター、法王フランシスコ(Papa Pop)の人となりを知るには最適な映画です。南米に興味をお持ちの方にもお勧めです。

公式サイト
ローマ法王になる日までChiamatemi Francesco - Il Papa della gente

[仕入れ担当]

2017年6月18日 (日)

ネイチャーズベスト 傑作 写真 展 日比谷図書文化館

世界最大規模の自然写真コンテスト「ネイチャーズベスト」で受賞した歴代の優秀作品をご覧になれる写真展です。

強くたくましく生きる野生動物、美しく神秘的な植物、雄大な風景など自然界のあらゆる営みをとらえた約80点が展示されています。

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愛くるしい目をむけるセンザンコウ、水を激しく飛ばしながらカメラマンを威嚇するアフリカゾウ、踊るように舞いあがる溶岩など奇跡の瞬間のオンパレードです。作品に添えられた作者の言葉を読んでいると、まるで現地に居合わせたような感覚に浸れます。

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ひょうきんな表情、愛らしい姿、生き抜く厳しさを物語る鋭い眼差し、見たこともない生き物や風景が広がり、写真を通して自然の大切さを学べます。

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ご家族、ご友人と楽しめる展覧会です。

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ネイチャーズベスト 傑作 写真 展
http://hibiyal.jp/hibiya/museum/naturesbest2017.html
2017年8月9日(水)まで

[店長]

2017年6月12日 (月)

映画「20センチュリー・ウーマン(20th Century Women)」

00 マイク・ミルズ(Mike Mills)監督が、前作「人生はビギナーズ」に続いて自伝的要素を取り入れて創り上げた作品です。舞台は1979年のカリフォルニア州サンタバーバラ。監督本人をモデルにした15歳の多感な少年ジェイミーが、母親をはじめとする個性的な女性の影響を受けながら、作中のセリフを借りれば“I want to be a good guy. I want to be able to satisfy a woman”と奮闘するお話です。

他愛のないエピソードを連ねて、作り手の視点やセンスを伝えていくタイプの映画です。これといった事件が起こるわけでもありませんし、衝撃的な映像が映し出されることもありません。ただジェイミーと周囲の人たちの日常が描かれるだけ。

それでもこの映画が素敵だと言えるのは、何より女優たちのキャスティングのおかげでしょう。母親のドロシアを演じたアネット・ベニング(Annette Bening)、幼なじみのジュリーを演じたエル・ファニング(Elle Fanning)、間借り人のアビーを演じたグレタ・ガーウィグ(Greta Gerwig)の3人がまさに適役で、そのいずれもが素晴らしい演技を見せてくれます。

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特にアネット・ベニング。このブログでも「愛する人」「キッズ・オールライト」「あの日の声を探して」「Dearダニー」など絶賛していますが、本作での演技は特筆に値すると思います。たとえば、ジェイミーが失神ゲーム(fainting game)で意識が戻らなくなって病院に搬送されるシーン。彼を見つめる不安げな表情があまりにも真に迫っていて、観ているだけ感情移入して涙が溢れてきました。

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そしてエル・ファニング。「SOMEWHERE」「ジンジャーの朝」の儚げな少女のイメージを「ネオン・デーモン」で脱皮した彼女ですが、本作の役柄はその中間あたりに位置する感じでしょうか。主人公ジェイミーが、憧憬と欲望をない交ぜにした複雑な感情を抱く年上の幼なじみを実に巧みに演じています。

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フランシス・ハ」以来、「マギーズ・プラン」「ジャッキー」と大人気のグレタ・ガーウィグも良い感じです。彼女が演じた間借り人の役は、監督の実姉がモデルだそうですが、NYのパーソンズに学んで写真家を目指したという70年代的キャラクターを完璧に演じています。

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特徴は「地球に落ちて来た男」を観て染めたという赤い髪と、ちょっと前のめりなフェミニズム。彼女が作品として撮るスーザン・ソンタグ「写真論」をはじめ、作中で言及されるロビン・モーガンやスーザン・ライドンの著作など、この時代の空気にぴったりです。ちなみにマイク・ミルズ監督、実姉のおかげで立派な(!?)フェミニストに育ったようで、後にミランダ・ジュライ(Miranda July)と結婚して2012年に長男が誕生しています。

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この3人の強烈な個性を持った女性たちに囲まれて、主人公のジェイミーを演じたのが、新人のルーカス・ジェイド・ズマン(Lucas Jade Zumann)。そして中心人物で唯一の大人の男性で、もう1人の間借り人、ウィリアムを演じたのが、最近よくみかけるビリー・クラダップ(Billy Crudup)。「君が生きた証」の主演の他、「スポットライト」にもちょっと出ていましたね。最近では「ジャッキー」でインタビューアを演じていたのが記憶に残っています。

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物語はといえば、冒頭で記したように、特に大きな流れがあるわけではありません。主人公ジェイミーを立派な大人に育てたいと思う母親ドロシアが、周囲の人々を巻き込んでいくつかの出来事を引き起こし、各人の個人的問題が表面化したり、衝突したりしながら生き方を模索し続けるというもの。それが70年代らしい音楽に彩られて描かれていきます。

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GAPやNIKEのCFを作っていた頃から選曲のセンスには定評あるマイク・ミルズ監督。今回もトーキングヘッズを中心に、それっぽい音楽が選び抜かれています。ポストパンクに否定的なドロシアが思い切りレインコート(The Raincoats)をディスったり、車にブラック・フラッグ(Black Flag)と落書きされたり笑える小ネタも盛り込まれていますし、ナレーションでは、パンクの終焉を語りつつ、核兵器より温暖化を恐れる時代が到来することに触れることも忘れていません。

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この映画に関連して、作中で使われた曲をマイク・ミルズ監督がラジオDJ風に紹介する“1979 Radio — 20th Century Women”というサイト(こちら)が公開されています。英語のみで字幕はありませんが、なかなか面白いのでお暇があれば試してみてください。

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公式サイト
20センチュリー・ウーマン20th Century Women

[仕入れ担当]

2017年6月 5日 (月)

映画「メッセージ(Arrival)」

00 日本で今秋公開される「ブレードランナー」の続編を手がけるなど、いま最も注目されている監督の一人、ドゥニ・ヴィルヌーヴ(Denis Villeneuve)。このブログでも「静かなる叫び」「灼熱の魂」「複製された男」「ボーダーライン」といった作品をご紹介してきましたが、この監督を初めて知った「灼熱の魂」には大きな衝撃を受けました。そのヴィルヌーヴ監督が、テッド・チャン(Ted Chiang)の短編小説を映画化したのが本作です。

原作である「あなたの人生の物語」は日本でも高く評価されていますが、時制を利用した記述が仕掛けになっており、あまり自制に厳密ではない日本語に訳すには苦労されたのではないかと思われる作品です。読み手の側からいえば、こういったタイプのSFに慣れていないと、すんなり受け入れにくい部分もあり、それを映画化すると知ったときはチャレンジングな印象を受けました。

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しかし、さすがヴィルヌーヴ監督、素晴らしい完成度の高さです。原作ではルッキンググラス(姿見)と表現されていた物体が、映画では半月形の不思議な形状に変えられていたり、映像化に際して随所に工夫が見られますが、そのほとんどがうまく機能していると思います。

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物語は、宇宙から到来したと思われる未知の物体が地球上の12ヶ所(小説では112ヶ所)に現れ、それに乗ってきた生命体と人類がどのようにコミュニケーションしていくかが軸になって展開していきます。

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主人公である言語学者ルイーズのもとに、軍のウェバー大佐が訪ねてきます。未知の物体が発する音の意味を解読して欲しいという用件です。彼女の研究室でクジラの鳴き声のような音声を聞かせますが、それだけでは何も理解できません。ルイーズ博士は、未知の言語を理解するためには相互のコミュニケーションが必要だと主張し、現場に連れて行くことは無理だという大佐の意見とかみ合わなくて、一旦はもの別れに終わりますが、結局、現場に行って、その未知の存在、作品内でヘプタポッドと呼ばれる生命体とのコミュニケーションを試みることになります。

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そのパートナーとなるのが数学者のイアン(小説ではゲイリー)。映画では、何ひとつ数学者らしい知見を示さない上に「ハート・ロッカー」の印象が染みついているジェレミー・レナー(Jeremy Renner)が演じているので、軍属の下っ端がルイーズ博士のアシスタントをしているように見えますが、小説ではフェルマーの最小時間の原理を説明して解読作業を大きく前進させます。

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その光の屈折に関する原理は私にはうまく説明できませんが、小説ではこれに関連してルイーズ博士が"The rabit is ready to eat"という例文を示します。この文でrabitをeatの目的語ととると、ウサギ料理ができ上がったと解釈できますし、rabitをeatの主語ととると、ウサギに餌を与えようとしている状況が思い浮かびます。物理学では、因果律的な解釈と目的論的な解釈の両方が成り立つという事実が、人類の見方で世界を見るか、ヘプタポッドの見方で世界を見るかによって、まったく異なる解釈になるという気付きに繋がっていくのです。

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こう書くと理屈っぽいイメージを持たれるかと思いますが、ヴィルヌーヴ監督は原作が持つSF的な要素をうまく咀嚼して一人の女性の人間ドラマに仕上げており、そこが最大の魅力になっています。原題は、このコミュニケーションの経験を通じたルイーズの到達(Arrival)を含意したものでしょう。

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その魅力の素地になっているのがルイーズ博士を演じたエイミー・アダムス(Amy Adams)の演技力と佇まい。「ザ・ファイター」「オン・ザ・ロード」「ザ・マスター」「アメリカン・ハッスル」「her/世界でひとつの彼女」「ビッグ・アイズ」など、もともと評価の高い女優さんですが、本作は彼女のマスターピースになると思います。

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ウェバー大佐を演じたのは「大統領の執事の涙」のフォレスト・ウィテカー(Forest Whitaker)。彼とルイーズ博士の応酬が、官僚主義的な軍のイメージを際立たせます。またウェバー大佐のカウンターパートとなる中国人民解放軍のシャン将軍とのコントラストもいい感じです。

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ちなみに映画では、シャン将軍率いる人民解放軍がヘプタポッドへの攻撃を主張して、各国の協調体制が崩れ、軍のネットワークが断ち切られます。映画の冒頭で、北海道に未知の物体が現れたと言っていますので、日本政府も何らかの対応をしていたはずですが(「シン・ゴジラ」的にずっと会議をしていたのかも知れませんが)、ネットワークを断ち切られた後の右往左往が目に浮かぶようです。

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公式サイト
メッセージArrival

[仕入れ担当]

2017年6月 4日 (日)

バベルの塔 展 東京都美術館

東京都美術館で開催中の「バベルの塔」展に行ってきました。15世紀後半から16世紀にかけて栄えたネーデルラント美術の変遷を、絵画、版画、彫刻の約90点でたどる展覧会です。

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本展の目玉であるブリューゲルの油彩《バベルの塔》は24年ぶり、ブリューゲルが手本としていたヒエロニムス・ボスの油彩《放浪者》と《聖クリストフォロス》は日本初公開となります。空想の世界を写実的に描いた作品の数々は、とてもユニークです。

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壮大な構図と美しい色彩で描かれた《バベルの塔》。オリジナル絵画に近寄って細部まで観察するのは難しいかも知れませんが、関連企画の「Study of BABEL」では、東京藝術大学COI拠点が制作した拡大複製画と立体化した塔を間近から観ることができます。

原画を300%拡大させた複製画は、科学分析結果をもとに支持体の板の質感や筆のタッチ、使われている絵具まで精緻に再現したそうです。

下の写真が立体化された塔ですが、高さ3メートル30センチもあります。この制作には約20名が関わり3ヶ月を要したとか。

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塔の中には面白い仕掛けがあります。デジタル映像で働く人たちをユーモラスに表現しているのですが、会場にあるタブレットで顔を撮影すると、私たちも塔の中で働く1人になれます。ぜひチャレンジしてみてください。

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6月16日(金)と30日(金)は、夜間開館時に東京都美術館から拡大複製画と立体化された塔のあるギャラリーまで、バベルの塔を模した灯りが並び明るく道を照らします。

バベルの塔 展
http://babel2017.jp/
2017年7月2日(日)まで

関連企画:Study of BABEL
http://innovation.geidai.ac.jp/information/170418/
会場:東京藝術大学COI拠点 Arts & Science LAB. 1F エントランスギャラリー
2017年7月2日(日)まで

[店長]

2017年6月 1日 (木)

日本、家の列島 フランス人建築家が驚くニッポンの住宅デザイン パナソニック汐留ミュージアム

日本の近現代の個人住宅にスポットを当てた展覧会です。企画したのは東京とパリを拠点に活躍する4人のフランス人建築家と写真家で、フランスやオランダなどヨーロッパの各都市も巡り、日本の住まいならではの感性や伝統を紹介しています。

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会場は、20世紀の著名な14棟を取り上げた「昨日の家」、写真家ジェレミ・ステラがとらえた36の「東京の家」、そして現代の特筆すべき20の「今の家」の3部構成。会場デザインは、みかんぐみが手掛けています。

住む人の希望や思いを取り入れ、斬新でユニークな住まいをカタチにしている「今の家」も見応えありますが、憧れるのは、やはり歴史的な名作住宅ですね。

1942年、品川区に建てられた前川國男の自邸(現在は東京都小金井市にある江戸たてもの園に移築)は、吹き抜けになったリビングを、書斎、寝室、女中部屋などが取り囲む間取りで、無駄な動線がありません。大きな格子窓が存在感を放つリビングは、限られた空間を最大限に活かし、開放感あふれる住まいづくりの好例です。

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本展では、普段見ることができない個人宅内で撮影された暮らしの映像や写真、ドローイング、スケッチ、模型なども展示。実際に住んでいる人や設計した建築家へのインタビューもあり、これから自宅を建てる人もそうでない人も、それぞれの理想的な住まいが見えてきそうです。

日本、家の列島 フランス人建築家が驚くニッポンの住宅デザイン
https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/17/170408/
2017年6月25日(日)まで

[店長]

2017年5月29日 (月)

映画「パーソナル・ショッパー(Personal Shopper)」

00 昨年のカンヌ映画祭で監督賞を受賞した作品です。

といっても単独受賞ではなく、クリスティアン・ムンジウ監督「エリザのために」とタイということでしたが、オリヴィエ・アサイヤス(Olivier Assayas)監督としては「感傷的な運命」「デーモンラヴァー」「クリーン」「アクトレス」に続く5度目のノミネートで初の受賞ということになります。ちなみに審査員長はジョージ・ミラー監督、パルム・ドールはケン・ローチ監督「わたしは、ダニエル・ブレイク」でした。

アサイヤス監督の作品はこのブログでも近作の「カルロス」と「アクトレス」をご紹介していますが、本作はこれらとはかなり趣の異なる作品です。

まず、物語の一つの軸になっているのがミステリーであること。ネタを明かしてしまえば、映画の中盤で殺人事件が起こるのですが、その謎解きがポイントになっています。そしてもう一つ、これはこの監督の新機軸といった印象ですが、映画のベースがホラーであること。クリステン・スチュワート(Kristen Stewart)演じる主人公モウリーンは霊能力者(medium)だという設定なのです。

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映画の幕開けは、郊外の荒れた屋敷に2人の女性が乗った車が到着するシーン。1人はモウリーン、もう1人は亡くなったばかりの双子の兄ルイスの妻、つまりモウリーンの義姉であるララです。そこはルイスとララが暮らしていた家なのですが、なぜかララは残らず、モウリーンを残して去ってしまいます。

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実はララ、この屋敷を売り払う交渉中で、既に買い手も見つかっています。しかし、モウリーンと同じく霊能力者だったルイスの霊が還ってきている可能性があり、それをモウリーンが確かめにきたのです。

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そしてその晩、超常現象が起こります。観客は“アサイヤス監督だから”と思って観ているわけですから、ホラーな展開に戸惑いながらも、モウリーンの夢だったとか、その手の着地点を期待してしまうところでしょう。

しかしこのホラー路線は最後まで続き、ラップ現象どころかポルターガイストやエクトプラズムまで登場します。ある意味、観客が試される映画です。

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モウリーンの職業は題名通りのパーソナル・ショッパー。セレブのキーラに替わって買物をしてあげる仕事です。といっても食料品や日用品ではなく、服や装飾品をみつくろって入手してくる役目。センスも問われますし、信頼関係も必要です。

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本作はシャネルとカルティエの協力を得ている他、下の写真でルブタンのショッピングバッグが見えているように、さまざまな高級店に出入りしてフォーブルサントノレをスクーターで疾走します。

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キーラの自宅は16区の高級住宅街ですが、モウリーンの自宅は北駅や東駅があるエリアのようです。後半の重要なロケーションとして、レピュブリック(République)のクラウンプラザ・ホテルが登場しますが、これはモウリーンの自宅からの近さを考慮して、そういう設定にしたのだと思います。

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キーラを演じたノラ・フォン・ヴァルトシュテッテン(Nora von Waldstätten)は「カルロス」「アクトレス」にも出ていたアサイヤス作品の常連女優。またキーラの恋人役インゴを演じたラース・アイディンガー(Lars Eidinger)も「アクトレス」に出ていました。

ついでながら、撮影もずっとアサイヤス作品を撮ってきたヨリック・ル・ソー(Yorick Le Saux)で、その映像美は「ミラノ、愛に生きる」「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」「胸騒ぎのシチリア」といった作品でも味わうことができます。

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と、いろいろ書きましたが、この作品の見どころは何と言ってもクリステン・スチュワートです。心霊現象や怪事件におびやかされる演技もさることながら、ハリウッド系には珍しい脱ぎっぷりも特筆ものでしょう。アサイヤス監督の前作「アクトレス」で、米国出身女優として初めてセザール賞を獲っていますので、気分はフランス女優なのかも知れません。

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媒介する存在(medium)から自分本来の姿へ、という切り口で緩く束ねられていますので、ストーリー的に腑に落ちない箇所もありますし、skype や iMessage でのコミュニケーションを多用する作りも好き嫌いが分かれそうですが、クリステン・スチュワートの演技とヨリック・ル・ソーの映像で多少の不満は帳消しにできそうな作品です。個人的には、「イントゥ・ザ・ワイルド」「オン・ザ・ロード」「アリスのままで」「アクトレス」と見てきたクリステン・スチュワートの新境地を堪能できて満足しました。

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公式サイト
パーソナル・ショッパーPersonal Shopper

[仕入れ担当]

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