映画「最後のマイ・ウェイ(Cloclo)」
1960年代から70年代のフランスで一世を風靡したポップスターとして、またフランク・シナトラが歌って世界的にヒットした“マイ・ウェイ”の原曲“Comme d'habitude”の作者としても知られる、クロード・フランソワ(Claude François)の生涯を描いた映画が、渋谷Bunkamuraで上映中です。
それほど期待せずに観に行ったのですが、これが評判を上回る面白さ。2時間半という長い映画なのに、始めから最後まで集中して見入ってしまい、後でちょっとぐったりしましたが、観て良かったと思える映画でした。
幕開けはクロード・フランソワの少年時代。父親がスエズ運河のフランス官吏だった関係でエジプトで生まれ育ったクロードは、子どもの頃から現地の音楽に親しみ、ジャンベを叩いたり、音楽に合わせて踊ることを覚えます。
しかし1956年にエジプト政府がスエズ運河を国有化。混乱の中を南仏に逃れたフランソワ一家は、父の失職で困窮しますが、18歳のクロードがモナコのクラブのオーディションに受かってドラマーとして働き始めます。
音楽で成功をすることを夢見たクロードは、1960年にパリに移り、フィリップスに売り込みに行きますが、なかなかレコードを出してもらえません。それでも生来の粘り強く押しの強い性格でなんとかレコードデビューを果たし、アイドル歌手の道を歩み始めます。
その後、39歳で電撃的な死を迎えるまで、波乱に満ちた人生を送ったクロードを、公私にわたってきめ細かく描いていく映画です。
物語のスパイスになっているのは、フランス・ギャル(France Gall)をはじめとする何人かの女性たちとの恋愛、父親との確執、ギャンブル依存の母親との関係など。
特に南イタリア出身の母親との関係は、南欧的というか非常に密接で、夫の失業補償もクロードの稼ぎも、カジノに注ぎ込んでしまう母親の扱いに生涯悩まされながら、クロードの死で最も傷ついたのは母親だったのだろうというエンディングになっています。
私はクロード・フランソワの音楽についてまったく詳しくないのですが、映画でみる限り、その時その時の流行に乗ることが巧みな人だったようです。
デビュー前はシナトラ風の絶唱スタイルだったものが、ロカビリー風になり、ディスコ調になり、スタイルがどんどん変化していきます。おかげで、オーティス・レディングからジェームス・ブラウンまで、ポピュラーミュージック史が映画の中で体験できてしまいます。
また60年代70年代の雰囲気がお金をかけて再現されていて、それを見ているだけでもかなり楽しめると思います。
フェラーリとかシャトームートンとかいろいろ出てきますので、きっとディテールも凝っているのでしょうが、クロードの個性というか、彼の生き方が面白過ぎて、周囲の細かい部分にまで気が回りませんでした。
個人的には、デビュー前のクロードが手土産にしてフィリップスの重役を口説き落としたチョコレートが、どこのものか知りたかったのですが、よくわからなくて残念。フランス・ギャルへのプレゼントがカルティエの時計だったのはわかったのですが・・・。
とにかくクロード・フランソワの人生は面白過ぎます。演じたのは「少年と自転車」でお父さん役だったジェレミー・レニエ(Jérémie Renier)で、彼の歌って踊る演技も抜群だったと思いますが、クロードの生き方にどんどん魅了されていく映画だと思います。
蛇足ながら、最初のマネージャーの役で出ているブノワ・マジメル(Benoît Magimel)。「ピアニスト」の頃の面影がすっかり失われ、そこらのおっさん的な風貌(芸能界にいそうなタイプ)になっていて、ちょっと驚きました。
公式サイト
最後のマイ・ウェイ
[仕入れ担当]
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