映画「マッドマックス 怒りのデス・ロード(Mad Max: Fury Road)」
今年のアカデミー賞で10部門にノミネートされているんですね。世界中の映画祭で賞をとって話題になったおかげで、先月末から各地のロードショー館でリバイバル上映されています。
昨夏の封切り時は、私には関係のない映画だと思ってスルーしたのですが、あまりにも評判がよいので、正月明けに飯田橋の名画座、ギンレイホールで2D上映していたものを観てきました。
それにしてもギンレイホールは良い劇場ですね。掃除が行き届いているし、対応も丁寧だし、2本立ですので続けて観れば1本あたりの料金も半額。その直前に行った渋谷の劇場が汚かったこともあり、安いのに手を抜かず、何て立派なんだろうとつくづく感心しました。
さて本題の「マッドマックス」です。
舞台は環境汚染が進んで砂漠化した荒野。捕らえられたマックスが、イモータン・ジョーという支配者が君臨する砦のような場所へ連れてこられ、兵士に血液を供給する輸血袋(Blood Bag)にされる場面からスタート。どうやら、砦で暮らす人々の間に遺伝性の病気が蔓延しているようです。
このマックスを演じているのが、トム・ハーディ(Tom Hardy)。次期ジェームズ・ボンド役と噂されたこともある英国人俳優ですね。最近は「裏切りのサーカス」「欲望のバージニア」「オン・ザ・ハイウェイ」と段々と評価が上がってきた感じです。
一方、フュリオサ隊長が率いる部隊が、ウォー・リグと呼ばれる武装トレーラーでガスタウンへ取引に向かっています。このフュリオサを演じたのがシャーリーズ・セロン(Charlize Theron)で、以前から美人女優の枠から外れた役を演じることの多い彼女ですが、今回はブロンドの髪をスキンヘッドにしてノーメイクで登場するところがポイントです。
実はフュリオサ隊長、イモータン・ジョーが子供産ませるために幽閉していた5人の妻(wives)を連れだし、自らの故郷で自由の身にしようとしていたのです。ですから、ガスタウンへ向かう途中で進路を変えるわけですが、その意図に気付いたイモータン・ジョーは、ウォーボーイと呼ばれる兵士たちと追走します。
病気で弱っているにもかかわらず、追跡隊に加わったニュークスは、車の前に輸血袋のマックスを鎖で繋いで砂漠に繰り出します。このニュークスを演じたのがニコラス・ホルト(Nicholas Hoult)。「シングルマン」では教え子の可愛らしい少年でしたが、すっかり大人になっていました。彼もまたスキンヘッドにして、ちょっと情緒不安定な兵士の役を好演しています。
ここから、フュリオサ隊長のウォー・リグと、イモータン・ジョー率いる戦隊との追いかけっこが始まるわけですが、大型のトレーラーと改造トラックが闘いながらカーチェイスするのですから、それは迫力満点です。おそらくこのシリーズのファンは、ここで盛り上がるのでしょう。きっとスタントや撮影の技術もかなり高いレベルなのだと思います。
しかし本作のポイントはそこではなさそうです。このマッチョな映画の軸に“女性の自立”を据えたところが、斬新というか、意表を突く部分。女性を産む機械、母乳の製造装置として扱っているあたりも、それを解放しようとするフュリオサが目指す先が“緑の地”(Green Place)というあたりも、エコフェミニズム的な文脈で括れそうです。
また、フュリオサと行動を共にすることになったマックスが、強い女、闘う女としてのフュリオサを完全に受け入れているあたり。たとえばフュリオサが銃を撃つシーンでマックスは肩を貸します。オレに任せろ的なマッチョな振る舞いはしません。日本政府の言葉でいえば“男女共同参画社会”を体現しているわけですね。
そういったあたりが、ただの爆走映画ではない、現代社会っぽい味付けになっていて、評価されているのだと思います。ただ私としては、戦隊の上でずっとギターを弾いている人やタイコを叩いている人がいて、笑ってもよさそうだけど、それほど可笑しくもないしなぁ、という微妙なノリで観ました。話題作を観てすっきりした、といったところでしょうか。ちなみにジョージ・ミラー(George Miller)監督は今年のカンヌ映画祭の審査委員長に指名されていますので、そこでどんな作品を選ぶかも興味あるところです。
公式サイト
マッドマックス 怒りのデス・ロード(Mad Max: Fury Road)
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