映画「水を抱く女(Undine)」
ドイツの名匠クリスティアン・ペッツォルト(Christian Petzold)監督が圧制下の愛(Love in Times of Oppressive Systems)をテーマにした三部作「東ベルリンから来た女」「あの日のように抱きしめて」「未来を乗り換えた男」に続いて撮った新作です。
脚本家のハルーン・ファロッキ(Harun Farocki)が2014年に急逝したせいか、三部作の最後の一編「未来を乗り換えた男」は他に比べて寓話性の高い作品になっていましたが、本作はその流れがさらに強化されたように感じました。
原題のUndineは水の妖精のことでだそうです。元々は、土、水、空気、火の4元素それぞれに精霊が住んでいると主張したルネサンス期の錬金術師パラケルスス(Paracelsus)の言葉で、ラテン語で「波」を意味するundaに由来するとのこと。以降、多くの芸術家がウンディーネをテーマにしており、ペッツォルト監督はインゲボルク・バッハマンの短編小説にインスパイアされてこの物語を創作したそうです。
ベルリンの住宅都市開発局で展示施設のガイドとして働くウンディーネは、かつては沼地だったという市域の変遷を見学者に説明する仕事をしています。その見学者の一人として話を聞き、感銘を受けたクリストフは、たまたま近所のカフェで出会った彼女に話しかけます。
なぜ彼女が仕事中にカフェに向かったというと、その少し前、恋人のヨハネスからその店で別れ話を切り出されたから。ガイドが終わったら店に戻るからそれまで居て欲しいと彼女が頼んだのです。しかしヨハネスはおらず、代わりにクリストフと出会うことになります。
クリストフはラインラント(Rheinland)やベルギッシェス・ラント(Bergischen Land)の貯水池で働くダイバーで、ダムの装置などを水中で修理する仕事をしています。そんな自己紹介を聞いているウンディーネの視線の先には、カフェの水槽の底に置かれた潜水士の置物があり、これが後々まで象徴的に登場することになります。
カフェでちょっとした事件があって二人の距離が一気に縮まり、ウンディーネがクリストフを訪ねるかたちで交際が始まります。ウンディーネの勤務先はベルリン王宮の跡地に再建されたフンボルト・フォーラム界隈にあるようですから、かなりの遠距離恋愛ですが、水中で働くクリストフに関心があったのでしょう。
訪ねてきたウンディーネを誘って湖底に潜った際、彼女のダイビング器材が外れてしまう事故が起きます。水面に浮かび上がったウンディーネを桟橋に上げ、必死に心臓マッサージを行うクリストフ。このとき、圧迫リズムを図るためにビージーズのステイン・アライブを口ずさみ、これは実際にも行われているやり方なのだそうですが、歌詞で繰り返される“生き続ける”というフレーズを含めてひとつの伏線になります。
水中を漂っていくウンディーネと、その前に仕事中のクリストフが湖底で見た巨大ナマズのイメージが重なります。そのあたりで観客は、これが寓話性の高い幻想譚であることに気付き、冒頭で別れ話を切り出されたウンディーネが言い返した"そんなことをしたらあなたを殺さなければならない"という言葉の裏にある彼女の宿命を感じることになります。つまりこの物語は、愛した男に裏切られたらその男を殺すという、水の妖精ウンディーネの伝説が下敷きになっているのです。
ヨハネスのことを忘れてクリストフを愛そうとするウンディーネ。しかし彼からヨハネスのことを問いただされたとき、思わずウソをついてしまったため、クリストフは潜水中の事故で脳死状態になってしまいます。意識がないはずの彼から電話を受けたウンディーネは、宿命には抗えないことを悟り、自らの悲しい運命を受け入れていくことになります。
そのウンディーネを演じたのは「未来を乗り換えた男」のパウラ・ベーア(Paula Beer)、クリストフ役は同作で共演していた「希望の灯り」のフランツ・ロゴフスキ(Franz Rogowski)。官能的な物語ではないのですが、そこはかとないエロスを感じさせるパウラ・ベーアと、誠実に彼女を愛そうとするフランツ・ロゴフスキの組み合わせが絶妙で、映画に深みを感じさせてくれます。
二人が突き進んでいく静かで熱い関係をバッハの旋律で際立たせるあたりは、クリスティアン・ペッツォルト監督の巧さなのでしょう。さまざまな仕掛けを張り巡らし、水のイメージを効果的に使いながら、とてもロマンティックな作品に仕上げています。
その他の出演者としては、クリストフの同僚モニカ役を「未来を乗り換えた男」で友人の妻メリッサ役だったマリアム・ザリー(Maryam Zaree)、ウンディーネの元彼ヨハネス役をヤコブ・マッチェンツ(Jacob Matschenz)が演じています。個人的には、なぜウンディーネがヨハネスのような男に惹かれたのか不思議でしたが、きっと水の妖精ならではの理由があるのでしょう。それだけパウラ・ベーアの魅力が際立つ作品です。
[仕入れ担当]
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