映画「母の聖戦(La Civil)」
メキシコ北東部で数年前に起こった事件に基づいて作られた実話ベースのドラマです。
手がけたのはテオドラ・アナ・ミハイ(Teodora Ana Mihai)というルーマニア出身の無名監督ですが、制作陣にダルデンヌ兄弟、クリスティアン・ムンジウ、ミシェル・フランコといった監督が名を連ねて注目を集め、カンヌ映画祭のある視点部門でCourage Prize(奨励賞)に輝いた他、東京国際映画祭で審査員特別賞を受賞しています。
実際の事件が起きたのはタマウリパス州サンフェルナンド(San Fernando)。麻薬組織ロス・セタス(Los Zetas)とガルフカルテル(Gulf cartel)の抗争や報復が繰り広げられている悪名高い街で、2010年には72体、2011年にはメキシコ史上最多となる193体の埋葬遺体が発見されています。
そんな街で暮らすミリアム・ロドリゲスの20歳の娘カレンが、2014年1月に誘拐され、身代金や協力金を支払ったにも関わらず解放されませんでした。ミリアムは自ら捜索に乗り出し、関係ありそうな人物を追跡して周辺の人物から聞き取り調査を行った結果、遺骨などを見つけ、軍や警察が動きだすことになります。一般市民(La Civil)の立場で犯罪組織に立ち向かったわけです。
彼女のドキュメンタリーを撮る構想で取材を進めていたミハイ監督は、現地のあまりにも過酷な状況を知り、キャストやスタッフの安全上の理由からフィクションに変えたそうです。その関係で具体的な地名は明かさず、登場人物の名前も娘の年齢も変えていますが、直接ミリアム・ロドリゲスから聞いた事項はディテイルに反映させているそうです。
映画のはじまりはシングルマザーのシエロと10代の娘ラウラが自宅で話しているシーン。リサンドロとデートなの?食事は要るの?といったよくある会話が繰り広げられるなか、ラウラはスマホを見ながら、どこかから送られてきたジョークをシエロに読み聞かせます。
寝ぼけたイブが、ここはどこ?とアダムに訊ねました。
アダムが答えます。裸で着るものはないし、家もないし、仕事もカネもないけど、みんなはここを天国だという、そうメキシコさ。
ラウラはウケていますが、その後、家から出かけたラウラは、この仕事もカネもない世界で横行している誘拐ビシネスに巻き込まれることになります。
すぐさま犯人の一味がシエロにアクセスしてきて、娘を返して欲しければ15万ペソと夫の車を持ってこいと要求します。日本円でいうと100万円程度でしょうか。
シエロは別居中の夫グスタボが愛人と暮らす家に行って身代金を用立てるように頼みます。
このグスタボというのが、家父長制で威張っているけど実は何もできないという、いかにも中南米らしい男。事業を営んでいるらしく、商材をさばいた現金と貯金、シエロの有り金をもって、彼のピックアップトラックで取引に向かいます。シエロに対しては、15万には少し足りないが交渉次第だと言いながら、一味の前では何も言えず、当然ラウラを取り戻すこともできません。
さらに5万ペソ要求されたシエロは仕方なく警察に相談しますが、ほとんど相手にされず、路上で強引に軍警察の車両を止めてラマルケ中尉に窮状を訴えることに。
道ばたに捨てられていた若い女性が葬儀屋に安置されていると聞いたシエロは、斬首された遺体を見に行きます。ラウラでなくて安堵すると同時に、ギャングの一味が葬儀屋に出入りしていることを知った彼女は、彼らを追跡してアジトを見つけ出し、写真などの証拠を揃えてラマルケ中尉に渡します。
その後、家に銃弾を撃ち込まれたり、車に放火されたりしますが、軍警察と繋がりができたシエロはさらに独自捜査を進め、事件の関係者をあぶり出していきます。
もちろん誰も信頼できない世界です。最初、シエロはグスタボの愛人が絡んでいるのではないかと疑っていましたが、結局は長年の友人が手引きしていたとわかり、シエロが軍警察に協力していることが漏れると報復されるというラマルケ中尉の判断で彼をその場で射殺します。
そのようなハードな展開を、音楽も入れずドキュメンタリータッチで描いていく本作。主人公のシエロを演じたアルセリア・ラミレス(Arcelia Ramírez)は「ベンハミンの女」「赤い薔薇ソースの伝説」などメキシコで長く活躍しているベテラン女優ですが、彼女の強い視線が印象に残る作品です。
情けない夫グスタボを演じたのは、これまたベテラン男優のアルバロ・ゲレロ(Álvaro Guerrero)。「アモーレス・ペロス」で雑誌編集長を演じていたそうですが、私は思い出せませんでした。
現実世界では、ミリアム・ロドリゲスの協力で逮捕された一味が2017年3月22日に刑務所から脱走し、同年のメキシコの母の日、5月10日の晩に自宅前でミリアムを銃撃するのですが、映画ではそれには触れずオープンエンドで締めくくります。そのあたりに監督の思いが込められているのでしょう。ちなみに主人公の役名であるシエロは空とか天といった意味です。
[仕入れ担当]
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