映画「aftersun／アフターサン」: monad

これが初の長編映画というシャーロット・ウェルズ（Charlotte Wells）監督ですが、「ムーンライト」「ビール・ストリートの恋人たち」のバリー・ジェンキンスがプロデュサーを務め、各国の映画祭で注目を集めた作品です。

父と過ごした20年前のバケーションを追想するというシンプルな映画で大きな起伏はありません。31歳になる女性ソフィが、父カラムの31歳の誕生日を一緒に迎えた旅先で撮ったホームビデオの映像を見ながら、11歳だった自分が幼すぎてわからなかったこと、気付かなかったことなど、欠けている記憶を埋めていきます。

随所で挟み込まれるホームビデオの映像だけが事実で、父の行動は娘の想像、父と娘の行動は薄れつつある記憶を思い起こしているものです。つまり、ビデオ映像を起点に娘が父の思い出を上書きしていく映画で、現実と空想の世界が緩やかに混じり合いながら展開していきます。

舞台はトルコのビーチリゾート、オルデニズ（Ölüdeniz）。直訳すると死海（Dead Sea）ですが、これは嵐でも穏やかで静かな海という意味だそうで、父娘はその南寄りのエリアであるムーラ県フェトヒイェ（Fethiye）のホテルに投宿します（ロケ場所はTurk HotelとHotel Telmessos）。

父と母はかなり昔に別れたようで、ソフィは母と暮らし、たまに父と会っている状況のようです。30歳で11歳の娘がいるということは10代で親になったわけで、映画の途中で出てくるエンゲージに関する会話から考えると、父と母は結婚しなかったのかも知れません。

いずれにしても、日頃あまり会うことのない娘を旅行に連れてくることで、父としての責務を果たしたい、できれば立派な父だと思われたいという気持ちが見え隠れし、かえって頼りない感じが滲み出てくる感じです。

まず出だしから躓きます。空港からバスを使ってホテルに到着するのですが、かなり遅い時間だったのか、レセプションに誰もいなくてチェックインできません。スタッフを探してきてようやく部屋に入ると、２ベッドのツインを予約していたのに、置かれていたのはダブルベッド一つ。クライブのお勧めのホテルなんだけど、と言い訳するカラムに父の威厳はありません。

二人の過去についてはあまり語られませんが、カラムはアリスという女性とカフェの開業を計画していたようです。その件についてソフィーから質問されたカラムは、アリスが以前のボーイフレンドと縒りを戻してカフェはやめたけど、キースと一緒にロンドン郊外に家を借りて何か始める予定だと取り繕います。

また、二人がスキューバーダイビングに行った際、カラムが放ったダイビングマスクにソフィーが気付かず、マスクが海中に沈んでしまうというハプニングが起こります。落ち込むカラムと高いマスクだっただろうと気遣うソフィー。ほとんど会っていなくても、父の経済状況について理解していることが伺われます。

11歳の少女というのは、子どものように見えて、他人を慮る大人の感覚も身についている年齢です。ソフィーの精神年齢は、今ひとつ大人になりきれない30歳のカラムとあまり違わないのかも知れません。父娘でありながら兄弟に間違えられる二人には友達同士のような微妙な距離感があります。

経済的にうまくいっていないせいか、カラムは鬱病を抱えているようです。ベランダで太極拳をしているシーンが映りますが、メディテーションや太極拳のペーパーバックをもってきていることから、ソフィーと一緒にいる間は楽しく過ごそうと心の平静を保つ努力をしているのでしょう。ときおり不穏な映像が挟み込まれ、希死念慮にとらわれていることを伺わせます。

それが原因かどうかは触れられませんが、ソフィーが31歳になった現在、もうカラムと会うことはないことがほのめかされます。

たとえば二人でカーペットショップに行った際にカラムが気に入ったトルコ絨毯。値段が英国ポンド換算で850ポンドと聞いて躊躇するのですが、後で一人で店に行って購入します。その絨毯は31歳になったソフィーの部屋に敷かれています。

映画では具体的な時代を示していませんが、チャンバワンバのヒット曲がかかっているあたりからみて1998年頃でしょう。当時の円換算レートで計算すると約17万円で、高級なトルコ絨毯ではなさそうですが、それを迷った末に思い切って買い求めたこと、後にソフィーの持ち物になったことで、カラムのその後を推察させる作りになっています。

カーペットショップに行った晩、二人は屋外ステージで行われているカラオケ会場に行き、ソフィーは父と歌おうと、彼が好きだったR.E.M.の"Losing My Religion"をリクエストします。しかしカラムは頑なに歌うことを拒みます。仕方なく一人でステージに上がって最後まで歌い上げるソフィー。戻ってきた彼女にカラムは、歌のレッスンに通わせてあげようかと言い、対するソフィーは、おカネがないのにそんなことは言わないで、と返します。それまでは楽しく過ごそうと父の困窮には触れないように気をつけていたのに、思わず口にしてしまった感じです。

部屋に戻ろうというカラムに、ソフィーはここに残ると抵抗します。二人は別々に過ごすことになるのですが、ソフィーは年上の少年少女たちと遊び、同世代の男の子と過ごしたことで、少しだけ大人の世界に足を踏み入れることになります。特にゲイカップルを見たことは彼女のその後に繋がっていそうです。

カラムが歌わなかった"Losing My Religion"、人によって解釈は違うでしょうが、報われなかったことを悔やむ歌ですね。この他、終盤でかかるクイーンとデヴィッド・ボウイの"Under Pressure"など、使われている楽曲の歌詞によって、あまり説明のない物語の行間を埋めていく映画でもあります。

主役カラムを演じたのは「ロスト・ドーター」のポール・メスカル（Paul Mescal）。1996年生まれですので撮影時は20代半ばだと思いますが、成熟しきっていない感じがしっくりきます。もう一人の主役ソフィを演じたのはオーディションで選ばれたフランキー・コリオ（Frankie Corio）で、彼女が醸し出す雰囲気がこの映画を支えていると言っても過言ではないでしょう。大人のソフィを演じたセリア・ロールソン・ホール（Celia Rowlson-Hall）は映画監督で、私生活でも女性のパートナー（映画監督のMia Lidofsky）と結婚しています。

そして、脇役というほどでもないのに何度も登場するツアーレップのベリンダを演じたのはサリー・メッシャム（Sally Messham）。トレモリーノスから転勤してきたという自己紹介をソフィーたちが繰り返し真似しますが、スペインのアンダルシアからトルコ南海岸に移ったということは、会話力の問題ではなく、こういうリゾートが得意だということでしょう。つまりバスを使うような老人客が中心の廉価なツアーだということで、カラムの懐具合を示しているわけです。