映画「ハロルド・フライのまさかの旅立ち(The Unlikely Pilgrimage of Harold Fry)」
65歳の男性が英国の南部から北部まで徒歩で縦断するというドラマです。原作はレイチェル・ジョイス(Rachel Joyce)の同名小説で、自らが映画の脚本も手がけています。監督のへティ・マクドナルド(Hettie Macdonald) は主にTVで活躍してきた人だそうです。
長年勤めたビール会社を定年退職し、妻モーリーンとデボン州サウス・ハムズのキングスブリッジ(Kingsbridge)で暮らしているハロルド・フライ。ある日、同僚だったクイーニーから手紙を受け取り、彼女がベリック=アポン=ツイード(Berwick-upon-Tweed)のホスピスに入っていることを知ります。
ハロルドはバジルトン(Basildon Bond)のレターセットを引っ張り出して返事を書こうとしますが、相手は20年も会っていない上に、ガンで死にかけている女性です。何を書くべきか迷いに迷った末、あたりさわりなく“手紙をありがとう。とても心配しています。くれぐれもお大事に”とだけ書いて封をします。
手紙を投函しようと家を出ますが、これで良いのかという逡巡は続き、最初のポストを通り過ぎ、次のポストもやり過ごしてしまいます。街の中心部フォアストリートの郵便局まで手紙を持っていこうと思い直しますが、結局、そこでも投函することができず、さらに歩き続けることになります。
市街地を抜けたところで一休みしようとガソリンスタンドに入り、店番をしていた髪を青く染めたパンク風の少女に手紙のことを話すと、彼女の伯母もガンだけど前向きに考えなくちゃいけない、信じる心が大切だと諭されます。ちょっと唐突ですが、この他愛のない会話がハロルドの心に響き、クイーニーを見舞うため、聖バーナディンホスピス(St Bernadine's Hospice)まで歩いて行こうと決心させます。
ハロルドが住むデボン州はイングランドの南西端、ベリック=アポン=ツイードがあるノーサンバーランド州は北東端にありますので、英国の端から端まで概ね800キロの道のりを歩くことになります。
ちなみに原作でハロルドの自宅があるとされているフォスブリッジ・ロード(Fossebridge Road)13番地は架空の地名ですが、フォアストリート(Fore Street)は実際にあり、新聞社(South Hams Gazette)も郵便局(現在はEvri ParcelShopになっていますが)も実在します。その後、ハロルドが妻モーリーンに電話をかけるB3196号線沿いのロディスウェルまでは5キロ程度、徒歩で1時間ほどの距離。その途中A381号線に右折する前のどこかでガソリンスタンドに立ち寄り、ベリックに向かう意思を固めたという設定です。
ただ歩くだけでは物語になりませんので、道中、さまざまな経験をします。足を傷めたときは、スロバキアで医師として働いていたが今は清掃の仕事しか得られないという移民のマルティナに治療して貰い、カフェで相席になった裕福なゲイの紳士から、貧しい恋人への対応について悩みを打ち明けられます。それまで接することのなかった人々と出会い、新たな世界が開けていきます。
出会った一人から写真を撮らせて欲しいと頼まれ、ハロルドは軽い気持ちで応じます。しかしその写真が瞬く間に拡散され、新聞で取り上げられて彼は全国的な有名人になります。それを見た薬物中毒の若者ウィルフが合流したのを皮切りに多くの人たちがハロルドの旅に加わり、“巡礼者”と名乗るグループになっていきます。
モーリーンも新聞を見て隣人のレックスと車で会いに来ます。ハロルドは一緒に旅をしないかと軽く誘いますが、彼女は苛立たしげな表情で断り、キングスブリッジに帰って行きます。
なぜハロルドの行動を、モーリーンがいまいましく思うか。それは彼らの一人息子、デイビッドのことがあるから。
彼らの息子は幼い頃から優秀で、労働者階級の出身でありながらケンブリッジに進みます。しかしそこで心を病んで実家に戻り、酒と薬に溺れる引きこもりになってしまいます。モーリーンは、ハロルドが息子への関心が薄く、息子の苦しみに向き合わなかったことが原因だったと考えていて、彼が始めたこの“巡礼”を身勝手な贖罪だと思っているのです。
物語の背景として、クイーニーの退職はハロルドとデイビッドに関係していて、ハロルドが知らないうちにクイーニーが去ったのもハロルドとモーリーンに関係しています。だからこそハロルドはクイーニーが死ぬ前に会っておかなければいけないと思い、だからこそモーリーンはクイーニーと再会することを厭うのです。
原作小説では、ハロルドの過去への悔恨と旅を通じた心境変化、ある種の悟りを得るまでの内面が細かく書かれていますが、映画では過去の出来事をフラッシュバックさせて見せるだけですので、ピンとこない部分があるかも知れません。特にデイビッドの思い出とクイーニーの繋がりはわかりにくいと思います。
きっと小説とセットで楽しむ映画なのでしょう。小説を読み、登場人物たちの過去や秘めた思いを知った上で映画を観た方が、英国各地の特色ある風景を心ゆくまで楽しめそうです。
映画はもちろん、小説でもクイーニーについてはあまり触れられていませんが、実はレイチェル・ジョイス、クイーニーの過去から末期に至るまでに光を当てた続編「The Love Song of Miss Queenie Hennessy」を著しています。またそこで紹介されているクイニーの庭園を妻モーリーンが10年後に訪ねる「Maureen Fry and the Angel of the North」も刊行され、シリーズ三部作が完結しています。そういえばダラムを過ぎたあたりでハロルドの向こうにエンジェル・オブ・ザ・ノース(Angel of the North)が見えていましたが、三作目に絡めたのかも知れませんね。
ほぼ一人芝居のこの映画、主役ハロルドを演じたのは「家族の庭」「ブルックリン」「ベロニカとの記憶」のジム・ブロードベント(Jim Broadbent)。佇まいだけで表現できる熟練の俳優ですが、本作でも過去を悔いる弱さとホームレスと見紛われながら旅を続ける強さをバランス良く滲ませています。
その他、モーリーン役は「マリーゴールド・ホテル」でも皮肉屋を演じていたペネロープ・ウィルトン(Penelope Wilton)、デイヴィッド役は「トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング」で弟ダン・ケリーを演じていたアール・ケイブ(Earl Cave)、マルティナ役は「マンク」に出ていたカザフスタン出身のモニカ・ゴスマン(Monika Gossmann)が演じています。
公式サイト
ハロルド・フライのまさかの旅立ち
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