映画「バティモン5 望まれざる者(Bâtiment 5)」
4年前の「レ・ミゼラブル」で一躍脚光を浴びたラジ・リ(Ladj Ly)監督。この三部作の第二作目もパリ郊外(バンリュー)の老朽化した団地を舞台に、やり場のない怒りに満ちたドラマが展開します。
今回のテーマはいわゆるジェントリフィケーションで、パリ五輪に向けた整備が進む中で公開するところがこの監督らしさでしょう。架空の街モンヴィリエ(Montvilliers)にある団地の1棟、通称バティモン5(五号棟の意味)の再開発を巡る行政と住民の諍いが繰り広げられます。監督の出身地であるモンフェルメイユの団地群(Cité des Bosquets)に因んでピカソ通りという地名が出てきますが、実際のロケ地は前作と同じくクリシー=ス=ボワ(Chêne-Pointu, à Clichy-sous-Bois)のようです。
映画の始まりは主人公の一人、アビーの祖母の葬儀の場面。棺が安置された団地の小さな部屋に近くの住民が次々と弔問に訪れます。そして出棺。かなり前からエレベータが使えないままということで、男たちが棺を担いで狭い階段を降りていくのですが、踊り場を曲がりきれず、棺を落としそうになりながら、なんとか1階まで辿り着いて車に積み込みます。
生きている間は経済的に苦しめられ、死んでも安らかに眠れない。そんな移民たちの暮らしと心情を瞬時に伝える素晴らしいプロローグです。ラジ・リ監督の語り口の巧さが冴え渡ります。
アビーのルーツはマリ(その昔の仏領スーダン)ですが、会葬者もアフリカ系のイスラム教徒が多数のようで、中にはハジ帽を被った人も見えます。ちなみにフランス在住のイスラム教徒は680万人で、総人口の10%を占め、パリ都市圏では15%に及ぶといわれています。カトリック信者に継ぐ規模であり、決して少数派とは言えませんが、社会的に抑圧されていることは周知の通りです。
続く場面は再開発計画の一貫として旧い建物が爆破されるセレモニー。ところが立ち会った市長が挨拶の途中で倒れて亡くなってしまいます。副市長である黒人のロジェ・ロシュが継ぐのが順当ですが、党幹部のアニエス・ミアスいわく“市長は汚職で追及されていた、副市長が就任すれば引き続き追及される”ということで、クリーンであることが唯一のウリである市議会議員の小児科医ピエール・フォルジュが後継者となります。
彼の最初の仕事はシリア難民の受け入れ。当初は夫の市長就任に否定的だったリベラルな妻ナタリーもこの取り組みには賛成のようです。しかし市庁舎の記者会見で“なぜ受け入れ対象をキリスト教徒に限定したのか”と問われ、上辺を繕っただけだったことが露呈します。
シリア難民の親子はバティモン5に住居を与えられ、娘タニアは市庁舎で働くことになります。出身国も宗教も違う上にフランス語も話せないにもかかわらず、既存の居住者からはそれなりに受け入れられているようです。バスのストで通勤できずに困っていたタニアを、アビーの友人ブラズの父親が自家用バンで拾ってあげるシーンが出てきますが、ブラズの父親は貧しい人々の連帯が機能していた時代の象徴であり、彼はタニア親子を同類とみなしていたのだと思います。
バティモン5には居住区画内で無許可営業をしている食堂があります。副市長のロジェ・ロシュも食べに来ているほどですから、違法とはいえ、多くの住民から必要とされているのでしょう。しかしある晩、店内から出火してしまいます。
住民からすれば災難ですが、棚ぼたで市長になったピエールにとってリーダーシップを発揮できる千載一遇のチャンスです。火災による躯体の損傷は、修繕費をかけて維持するよりも、建て替えた方が合理的だと説得する絶好の材料になります。早速、建物の危険性が高まったとアナウンスして住民を避難させ、解体工事の布石を打ちます。
決してピエールの施策が間違っているわけではありません。環状道路の外側に行ったことがある人なら誰もが知るように、パリ近郊には老朽化した団地が無数にあり、おそらく建て替え以外の選択肢がなさそうなのに、予算の関係か、住民の反対か、何らかの理由でそのままになっています。行政としては劣化による事故が起こる前に、住民を退去させて建て替えを進めたいところでしょう。それなりにリアリティのある展開だと思います。
ただ問題なのは、十分な説得や話し合いを行わず、拙速にことを進めたこと。早速、住民から信望の厚いアビーが市長室に怒鳴り込みます。もちろんピエールは無碍に追い返しますが、その対応は典型的な白人の象徴的な姿勢でしょう。つまり、アフリカ系移民を見下すと同時に恐れを抱いているというもの。
ピエールは、黒人少年たちが夜半に集まって悪さをしているのを見かけ、青少年の夜間外出禁止令を出しますが、これも差別心と恐怖心がないまぜになった気持ちがベースにあるように見えます。また妻ナタリーにサッカーのチケットが取れたと話す際、ベンゼマが欠場してジルーになったから大丈夫だといったことを言いますが、そのあたりにも差別心が滲んでいそうです。
見せかけはリベラルでも、心の底には排外的な権威主義を抱えている白人たち。副市長のロジェ・ロシュのように、アフリカ系の地域住民を代表して市政にかかわったにもかかわらず、権力者の圧力に屈して大勢に流されていく黒人たち。こういった人たちが意思決定の中心になりますので、なかなかアフリカ系住民たちの鬱憤が晴らされることはありません。アビーは政治的解決を目指して市長選に立候補し、ブラズは暴力による報復に向かいますが、おのずとこの二方向に収束されてしまうというのがラジ・リ監督の考えなのでしょう
そのアビーを演じたアンタ・ディアウ(Anta Diaw)はこれが長編映画2作目、ブラズを演じたアリストート・ルインドゥラ(Aristote Luyindula)は映画初出演だそうで、前作同様、知られていない新人をうまく使ってバンリューの物語に普遍性を持たせています。
その他、ピエール役を「レ・ミゼラブル」で警官役だったアレクシス・マネンティ(Alexis Manenti)、その妻ナタリー役を「サントメール ある被告」で弁護士役だったオレリア・プティ(Aurélia Petit)、副市長ロジェ・ロシュ役を「レ・ミゼラブル」で通称“市長”役だったスティーブ・ティアンチュー(Steve Tientcheu)、党幹部アニエス役を「レ・ミゼラブル」で警察幹部役だったジャンヌ・バリバール(Jeanne Balibar)が演じています。
2015年3月に亡くなった元クリシー=ス=ボワ市長クロード・デイラン(Claude Dilain)に触発されて作った作品だそうですが、彼はこの地域の都市再生計画を推進し、路面電車T4を誘致した人だそうです。2030年には地下鉄も通るようですが、今後どう変わっていくのでしょうか? 次作に期待です。
公式サイト
バティモン5 望まれざる者(Bâtiment 5)
[仕入れ担当]
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