映画「関心領域(The Zone of Interest)」
カンヌ映画祭のコンペティション部門でグランプリ、米国アカデミー賞で国際長編映画賞と音響賞に輝いた作品です。主演のサンドラ・ヒュラー(Sandra Hüller)が、同じカンヌ映画祭でパルムドールを獲った「落下の解剖学」にも主演していたことも話題になりました。
監督は「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」のジョナサン・グレイザー(Jonathan Glazer)で、映画の内容は、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の所長であり、隣接した屋敷に住んでいたルドルフ・ヘスの家族を描いたもの。
ユダヤ系である監督が、被害者側ではなく、ユダヤ人絶滅を担った側の生活を描いたという点でも注目されたわけですが、米国アカデミー賞の受賞スピーチで"Right now, we stand here as men who refute their Jewishness and the Holocaust being hijacked by an occupation which has led to conflict for so many innocent people"と訴え、ユダヤ人であることやホロコーストを理由に無辜の人々を紛争に巻き込んでいると暗に某国政府を非難してさらに注目を浴びました。
そういう意味で、かなり政治的な色彩を帯びた作品ですし、観る人の倫理観や人権意識に揺さぶりをかける要素が軸になっています。しかし、鑑賞後の感想としては、得体の知れない気持ちの悪さというのでしょうか、気分が萎える感じです。
よくあるホラー映画のように血が流れることはありませんし、死体どころか虐待されている姿も出てきません。あるのは“音”のみ。その“音”だけで十分に気持ち悪くさせるのですから立派なものです。思わず終盤のルドルフ・ヘスのように吐きそうになりました。
ヘスの一家は収容所と塀で隔てられた瀟洒な屋敷に住んでおり、美しい花壇やプールを設えた庭もあって、一見、幸福で満ち足りた生活です。しかし塀の向こうではホロコーストが行われているわけで、常にその“音”が響いていきます。観客はその“音”を聞きながら、塀の向こうで行われていること、映画「サウルの息子」で描かれていたような情景をイメージし続けることになります。
ルドルフ・ヘスは妻ヘートヴィヒと5人の子どもたちと暮らしているのですが、ヘートヴィヒはこの生活をたいへん気に入っていて、ユダヤ人の遺品であるファーコートを着てみたり、そのポケットにあった口紅を試してみたりしながらも、塀の向こうを気にする素振りも見せません。ルドルフが昇進し、転勤の内示を受けたときは、自分と子どもたちはここに残ると言い張るほどです。しかし幼い娘の一人は夢遊病のような症状を示していて、この環境が少なからず影響を及ぼしていることがうかがわれます。
それが最も顕在化するのがヘートヴィヒの母が訪ねてきたとき。ヘートヴィヒは自慢の庭を見せ、母は娘の家族が幸せに暮らしていることを喜んでいます。当初は“あれはキャンプの壁? 向こうにエステルがいるかもね”などと差別的な軽口を叩いていた母でしたが、絶えず“音”を聞きながら、何もイメージせずにはいられなかったのでしょう。数日後、娘に黙って帰ってしまいます。
ちなみにそのエステルという人、ヘートヴィヒの母が掃除に行っていたということですから、彼女を掃除婦として雇っていた裕福なユダヤ人だと思われます。エステルのカーテンを路上オークションで手に入れようとした話など、ユダヤ人との関係や、ヘートヴィヒの生育環境が垣間見えるシーンです。
それでもヘスの一家は塀の向こうを意識の外において、庭の花の手入れをしたり、ピクニックに出かけたり楽しんでいます。川で子どもたちを遊ばせているとき、遺体の一部らしきものが流れてきたときは少し慌てますが、ライラックの木に喩えて苦言を呈し、SS隊員に慎重さを求めた後は普段通りの生活に戻っていきます。
あくまでもルドルフの頭の中にあるのは、与えられた任務、送られてくる「荷物」を効率的に処理することだけです。その「荷物」の心情に思いを至らせることはありません。本作にもアドルフ・アイヒマンの名前が出てきますが、ハンナ・アーレントが「エルサレムのアイヒマン」で指摘したのと同じく、ルドルフの行動も“完全な無思想性”に基づくものなのです。
ときおり赤外線カメラで撮られたような映像が出てきますが、そこに映っているのは、収容されている人たちにリンゴを食べさせようと地中に隠している少女です。監督が映画のリサーチ中に出会ったポーランド人女性(Aleksandra Bystroń-Kołodziejczyk)から聞いた実話だそうですが、彼女のような良心に基づいて行動する人を対比して見せることで、良心に蓋をして暮らすルドルフやヘートヴィヒの異常性を浮き上がらせます。
そのルドルフを演じたのがクリスティアン・フリーデル(Christian Friedel)。ミヒャエル・ハネケ「白いリボン」で、先週ご紹介した「ありふれた教室」のレオニー・ベネシュと婚約する教師役を演じていたドイツ人俳優です。
そしてヘートヴィヒを演じたのは「ありがとう、トニ・エルドマン」「希望の灯り」「落下の解剖学」のサンドラ・フラー(Sandra Hüller)で、目先の幸福に固執する平凡な主婦像を淡々と演じてます。見て見ぬ振りをしつつ、どこかで意識しているという微妙なバランスを滲ませるあたり、高い評価を受けているだけのことはあります。
ほぼ音だけで観客を刺激するこの作品、音響を担当したのはターン・ウィラーズ(Tarn Willers)とジョニー・バーン(Johnnie Burn)で、ジョニー・バーンはこれまでヨルゴス・ランティモスの作品にかかわってきた人のようです。
そして恐怖の主体を敢えて見せないという本作のコンセプト。ジョナサン・グレイザー監督はその昔、ミュージックビデオを撮っていた人で、有名どころではジャミロクワイのヴァーチャル・インサニティ(Virtual Insanity)があります。アーティストが動いているように見えて、実際は壁が動いているという作品ですね。ちょっとした発想の転換で人の意識を操るという作風は昔から変わっていないのかも知れません。
公式サイト
関心領域(The Zone of Interest)
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