カルチャー

2024年2月 5日 (月)

映画「哀れなるものたち(Poor Things)」

Poor Things 話題作ですね。「バードマン」「ラ・ラ・ランド」「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」のエマ・ストーン(Emma Stone)が、「女王陛下のお気に入り」に続いてヨルゴス・ランティモス(Yorgos Lanthimos)とタッグを組みました。プロデューサーまで務めただけあって、今まで以上の渾身の演技で映画を引っ張っていきます。まだアネット・ベニングやサンドラ・ヒュラーの主演作を観ていないのでわかりませんが、来月のアカデミー賞で主演女優賞を獲っても不思議はないと思います。

原作は1992年に発表されたアラスター・グレイ(Alasdair Gray)の同名小説。ヴィクトリア朝のグラスゴーで暮らした公衆衛生官の文書を郷土史家が偶然発見し、交流があった作家に手渡したという設定の作品で、公衆衛生官アーチボールド・マッキャンドレスの著作物と、それに対して付記された妻ヴィクトリア・マッキャンドレスの書簡を、作家アラスター・グレイの序文と註で挟んだという枠組みの読み物です。

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映画はややこしい設定をすべて割愛した上で、舞台をグラスゴーからロンドンに、アーチボールドの名前をマックスに変え、後にヴィクトリアと名乗ることになるベラの物語に絞り込んで展開します。原作を覆っていたペダンティックで陰鬱な雰囲気のかわりに、スチームパンク的な小道具で彩られたポップな世界観を打ち出していて、小説とは味わいの異なる軽快な作品になっています。

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ロンドンの医学生マックス・マッキャンドレスは、外科医ゴドウィン・バクスターの助手として、彼の屋敷で暮らしていたベラという女性の成長を記録することになります。ベラからゴッドと呼ばれているその浮き世離れした外科医は、高名な外科医だった父親の実験台になったことでさまざまな臓器を失い、顔も縫合痕だらけですが、手術室まで備えた大きな屋敷で人目を忍びながら家政婦と共にベラの面倒をみています。

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マックスは、妙齢の女性であるベラが子どものように振る舞うことに興味を持ちます。ゴッドいわく、妊娠中の女性が入水自殺を図り、亡くなった母体に生きていた胎児の脳を移植した、外見は成人だが知能はまだ幼児の段階にあり急成長中とのこと。

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ベラに惹かれたマックスは、ゴッドの許しを得てベラと婚約することになります。しかし性的好奇心をもつ段階まで成長していたベラは、婚約のために招かれた放蕩弁護士ダンカン・ウェダバーンの口車に乗せられ、自由を求めて彼と駆け落ちしてしまいます。

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ここから映画の主幹をなすベラとダンカンの旅が始まるのですが、リスボンに着いてゴッドの制約から解き放たれたベラは性的快楽を極限まで追い求め、もともとベラを弄ぶつもりだったダンカンを辟易とさせます。もちろんベラの成熟は性欲の解放だけでなく、たとえばタルトのおいしさを知ったり、街角でカルミーニョ(Carminho)のファドを聴いて涙したりといった感性の部分にも及んでいきます。

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ところがベラの放逸をコントロールできなくなったダンカンは、ベラをだまし討ちにかけて客船に同乗させてしまいます。

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船内の閉じた世界にいれば安心と考えたわけですが、ダンカンがカジノでうつつを抜かしている間に、ベラは老婆マーサと黒人のハリーと仲良くなり、読書の喜びと哲学に親しむことを覚えます。

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また寄港地のアレクサンドリアで住民の貧困を目の当たりにしたベラは、彼らに金銭を与えようと、ダンカンがカジノで得た全額をずる賢い船員に託してしまいます。その結果、一文無しになった二人はマルセイユで下船させられ、仕方なくパリに向かうことになるのですが、ベラはゴッドが服地の裏に縫い込んでくれた緊急用のカネをダンカンに渡し、英国に帰るように諭します。

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残ったベラは収入を得ながら性的探求を深めるためマダム・スワイニーの娼館で働きます。

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表層的にみれば体を売るところまで墜ちたともいえますが、ここで彼女は女性の側から男性を選べない不公平を感じ、マンスプレイニングをはじめとする客の愚かさを知り、同僚のトワネットから社会主義を教えられることでまた一歩成長するわけです。

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その後、死期を悟ったゴッドの依頼で、マックスがダンカンを見つけ、ベラに連絡したことで彼女は帰国することになります。ゴッドと和解し、マックスと挙式することになるのですが、花嫁は失踪中の我が妻ヴィクトリアだといってアルフィー・ブレシントン将軍が現れ、ベラはその主張を受け入れて元の鞘に収まるという急展開を迎えます。もちろん、夫婦間の問題は彼女が失踪する前と変わりませんから、ヴィクトリアに戻ったベラも引き続きアルフィーのDVに苦しめられることになり、彼女は再びさらなる解放を求めてエンディングに向かっていきます。

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とても奇っ怪な物語ですが、これまでランティモス監督の「籠の中の乙女」「ロブスター」「聖なる鹿殺し」を観てきた人にとってはシンプルでわかりやすい部類だと思います。設定が明確で前提の理解に悩むことはありませんし、テーマも女性の解放に絞られていますので、この監督にしては珍しく広範に受け入れられているのも不思議ではありません。

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世界を旅する物語ですが、船上を含むほぼすべてのシーンをセットで撮影したそうです。あえて作り物っぽくした書き割りのような風景が「バービー」を彷彿させますが、テーマも相通じるあたりが興味深いところです。美術を手掛けたのはショーナ・ヒース(Shona Heath)と「ジュディ 虹の彼方に」のジェームズ・プライスで、衣装のホリー・ワディントン(Holly Waddington)、音楽のイェルスキン・フェンドリックス(Jerskin Fendrix)らと共にアカデミー賞にノミネートされています。撮影は「マリッジ・ストーリー」「選ばなかったみち」「カモン カモン」など通好みの作品を撮ってきたロビー・ライアン(Robbie Ryan)で、彼もノミネートされています。

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もちろん最大の見どころはエマ・ストーンの熱演でしょう。わたしのからだはわたしのもの、といった女性の性的自由も大切なテーマですから、裸になる場面が多くR18+指定になっていますが、スリムな体型のせいか、いやらしい印象はなく、束縛の拒絶と自由の希求が明確に伝わってきます。自由という点でいえばリスボンのダンスシーンも強く印象に残りました。彼女の声質も役柄とフィットしていたと思います。

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その相手役となるダンカンを演じたマーク・ラファロ(Mark Ruffalo)も良い味を出していました。このブログでは「キッズ・オールライト」「はじまりのうた」「フォックスキャッチャー」「スポットライト」などの出演作をご紹介してきたせいか、エロティックな印象の薄い俳優ですが、逆にそれが奏功してエマ・ストーンの怪演とうまく馴染んでいたような気がします。

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ゴッド役は「アステロイドシティ」などウェス・アンダーソン作品や「フロリダ・プロジェクト」「マザーレス・ブルックリン」「ナイトメア・アリー」でお馴染みのウィレム・デフォー(Willem Dafoe)で、マックス役は「ドント・ウォーリー」にAA参加者役で出ていたラミー・ユセフ(Ramy Youssef)、アルフィー役は「ファースト・マン」に出ていたクリストファー・アボット(Christopher Abbott)。その他、船上でベラを導くマーサ役で「苦い涙」のハンナ・シグラ(Hanna Schygulla)、娼館のマダム・スワイニー役で「マクベス」の魔女役キャサリン・ハンター(Kathryn Hunter)といった名女優が共演しています。

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ちょっとネタバレになりますが、きれいに物語が収束する映画とは異なり、原作ではヴィクトリア(物語の中のベラ)の書簡で、グラスゴー人道会のジョージ・ゲディーズがクライド川から遺体を引き上げたという話も脳移植の話もマッキャンドレスの創作だと暴露するどんでん返しがあります。彼女が記した真実は、将軍との結婚後、FGMを受けさせられそうになり、その手術のために呼ばれた医者がバクスター。彼の話を聞いて目覚め、自らロンドンのブレシントン邸(29 Porchester Terrace, London)から逃げ出してグラスゴーの彼の屋敷(18 Park Circus, Glasgow)に匿って貰ったというもの。つまり映画の終盤は書簡の要素を逆順で反映させたものです。

公式サイト
哀れなるものたちPoor Things

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2024年1月29日 (月)

映画「ザ・ヒューマンズ(The Humans)」

The Humans 2016年のトニー賞を受賞した舞台劇の映画化作品です。劇作家のスティーブン・カラム(Stephen Karam)が自ら映画監督も務めました。

主な登場人物はペンシルベニア州スクラントン(Scranton)で暮らしていたブレイク家の面々。祖母と両親は地元に住んでいるようですが、長女はN.Y.のロースクールを卒業して現在はフィラデルフィア中心街にある法律事務所勤務、次女は音楽家を目指してN.Y.で暮らしていて、先ごろアジア系のパートナーとチャイナタウンの老朽化したアパートに引っ越したばかりのようです。

物語の舞台となるのはそのアパートで、どうやら次女のブリジッドが新居のお披露目を兼ねて感謝祭に家族を招いたようです。ペンシルベニアから父エリックと母ディアドラに連れられた祖母モモ、フィラデルフィアから長女エイミーが訪ねてきます。

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久しぶりに集まった家族が繰り広げる会話劇というと、トレイシー・レッツが脚本を書いた「8月の家族たち」やデプレシャン監督「クリスマス・ストーリー」、フランスの劇作家ジャン=リュック・ラガルスの戯曲を映画化した「たかが世界の終わり」などをこのブログでご紹介してきましたが、本作もこれらと同様、今まで表面化しなかった家族の問題が噴き出して物語が白熱していきます。会話の面白さを楽しむ作品です。

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映画の幕開けで、真っ黒な画面に水色の幾何学模様が現れますが、次第にこれが林立するビルの狭間から見上げた空の映像だとわかってきます。閉塞感のある暮らしの中でときおり見えるほんの僅かな青空。都会の生活を象徴するかのようなタイトルバックです。

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まず父エリックと母ディアドラ、車いすの祖母モモが登場するのですが、エリックとディアドラはこのアパートに次女が住むことに反対のようで、のっけから彼らの住まいをけなします。N.Y.のダウンタウンがいかに危険かという話から、設備の古さに関するあてこすりまで、さんざんな言いようです。

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ブリジッドのパートナーであるリチャード(通称リッチ)は、場をうまく収めようといろいろと気遣います。たとえばエリックに“ずっと学校の仕事をしてきたと聞いている”とか“湖畔の家が大好きだとブリジッドが言っていた”と話しかけ、彼らの地元ペンシルベニアの話題に変えようとするのですが、エリックは今ひとつ乗ってきません。

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そうこうしているうちにエイミーの電話が鳴って、彼女が最近ガールフレンドと別れたこと、腸疾患で休みがちだった法律事務所を辞めることがわかってきます。ガンではないというものの、悪化しないように手術してストーマにしなくてはならないとのこと。そんな体では、新しいガールフレンドもできないと悲嘆します。

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母ディアドラは信心深い人のようで、ブリジッドたちへのプレゼントはキャンディピッグとマリア像です。このキャンディピッグ(商標はPeppermint Pig)なるもの、私は知りませんでしたが、ピンク色のブタ型ペパーミントキャンディで、クリスマスなど家族が集まった際、感謝の言葉とともに付属のミニハンマーで砕いて食べるそうです。

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ブレイク家には昔からキャンディピッグを順番に家族で回して割るしきたりがあったようで早速それを始めます。リチャードはN.Y.育ちとはいえ、アジア系だからか初めての体験のようで、奇妙な慣習だと言いながらも“ブリジッドと出会って新しい家族が得られたことに感謝します”とソツなくこなします。

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この家ではリチャードが料理の担当のようで、ほぼすべての料理を彼が仕込んだり作ったりしていますが、電球の交換など男性向けの家事も担当していて、キッチンと各部屋を行ったり来たり忙しそうです。温厚で誠実なボーイフレンドですが、実は鬱病でブランクがあって、35歳の今も学生です。つまり、リチャードと音楽家を目指してアパレル販売員をしているブリジッドのカップルには収入面の不安があるということ。

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だからこそ、チャイナタウンの老朽化したアパートで暮らしているわけですが、そのボロさを執拗に指摘するエリックに対してブリジッドは、“これが親の支援がなくても暮らせるレベル”と、暗にエリックがお金を出してくれないことをなじります。

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そういった経済面の問題の他、モモの認知症、エイミーの腸疾患、リチャードの鬱といった健康面の問題もあり、そこにエリックが時々みるという悪夢の話が絡んで物語が進んでいくのですが、最後にエリックから“セントマーク校の倫理規定に抵触して失職し、今はダンビル(Danville)のウォルマートで働いている、湖畔の家も売らなくてはいけない”という意表を突く告白があって一気に収束していきます。

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おそらくステージを忠実に映画化したのでしょう。急に電球が切れて暗くなったり、上階や洗濯室から不穏な音が響いてきたりして場面に抑揚をつける演出や、メゾネットの部屋を上下移動しながら展開していく構成に好き嫌いがありそうですが、個人的にはN.Y.らしくてなかなか面白い映画だと思いました。ご覧になればわかる通り、エリックはちょっとした運の巡り合わせで911の犠牲にならなかった人で、彼が抱えるオブセッションがこの物語全体を覆っているのですが、きっとそのあたりがニューヨーカーの共感を得ている理由なのでしょう。

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またエリック役に「シェイプ・オブ・ウォーター」「ナイトメア・アリー」のリチャード・ジェンキンス(Richard Jenkins)、ディアドラ役にジェイン・ハウディシェル(Jayne Houdyshell)、エイミー役にエイミー・シューマー(Amy Schumer)、ブリジッド役に「レディ・バード」「ブックスマート」「ビルド・ア・ガール」のビーニー・フェルドスタイン(Beanie Feldstein)、リチャード役に「ミナリ」の(Steven Yeun)、モモ役に「ネブラスカ」「クーパー家の晩餐会」のジューン・スキッブ(June Squibb)とクセのある役者を集め、6人それぞれの個性が共鳴し合う作りも楽しめました。

公式サイト
ザ・ヒューマンズThe Humans

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2024年1月22日 (月)

映画「エターナル・ドーター(The Eternal Daughter)」

The Eternal Daughter ティルダ・スウィントン(Tilda Swinton)主演の不思議なドラマです。監督はジョアンナ・ホッグ(Joanna Hogg)で、彼女の前作、前々作にもティルダ・スウィントンが出演しており、いずれの作品も製作でマーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)が参画しています。

昨年観たアルモドバル監督「ヒューマン・ボイス」もティルダ・スウィントンの一人芝居でしたが、本作は彼女が一人二役で母と娘を演じるもの。ほとんどの場面で彼女演じる母または娘が飼い犬ルイと一緒に登場することになります。ちなみにこのイングリッシュ・スプリンガー・スパニエル、実生活ではティルダ・スウィントンの飼い犬だそうですので、ティルダ・スウィントンが飼い犬と演じ上げた映画ともいえるでしょう。

物語は映画監督のジュリーが、年老いた母ロザリンドと彼女の愛犬ルイを連れてウェールズの古城ホテルに到着する場面からスタート。しかしレセプションの若い女性は、ジュリーの名前での予約はないと言い、ずいぶん前に予約したから、とジュリーが食い下がってようやく2階の空き部屋に案内されます。他に客がいる様子はなく、レセプションの女性もすぐに帰ってしまい、不気味な陰鬱さに包まれます。

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霧に包まれた謎めいた雰囲気といい、人里離れたロケーションといい、非現実的なスタッフの態度といい、幽霊屋敷を思わせるホテルです。

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実はこの建物、元々ロザリンドの生家で、一族が売却した後、ホテルとして運用されているのです。ジュリーの目的は母を題材にした映画の構想を組み立てることで、母と会話をしながら昔の話を聞き出していきます。しかし、良い思い出ばかりではなく、流産や第二次世界大戦中に従姉妹を亡くしたことなど辛い話が出てきてジュリーは後悔し始めます。

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ある晩、ジュリーが執筆に苦しんでいると、犬のルイが勝手に出て行って行方不明になってしまいます。ホテルスタッフである初老の男性ビルと一緒に敷地内を捜索し、部屋に戻ると、いつの間にかルイが帰ってきています。ビルに礼を言いに行くと二人で軽く飲むことになり、彼の妻も、ジュリーの父親と同じく最近亡くなったばかりだと知らされます。

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翌日、ロザリンドとビルが話しているのを見かけます。聞き耳を立てると、ロザリンドは“ジュリーには子どもがいないので代わりに母親を溺愛している、彼女が歳を取った後に気にかけてくれる人がいないことが心配だ”と話しています。

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別の日、従兄弟が愛犬バグリーと訪ねてきてロザリンドへのプレゼントを置いていきます。その日はロザリンドの誕生日で、ジュリーはホテルに頼んで特別にディナーの席を用意してもらっています。しかし二人が着席すると、ロザリンドは“お腹が空いていないので今は何も食べたくない”と言い、ジュリーは“ロザリンドを喜ばせたいと頑張ってもいつもうまくいかない”と泣き崩れます。

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そしてバースデーケーキに関する段取りの齟齬があり、レセプションの女性との間で小さな諍いが起こった後、すべての背景が明されます。要するにこのドラマ自体がジュリーの創作だったわけですが、そういったややこしい仕掛けを含めたミステリアスな味付けで全体を包み込んだ映画です。

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もちろん見どころは二役を演じ分けたティルダ・スウィントンで、彼女の演技力を見せるために作られた映画といっても過言ではないでしょう。強い個性をもった母と娘が、互いに相手を思うばかりに食い違ってしまう微妙さを巧みにみせてくれます。彼女の唯一無二の存在感が存分に発揮された一本だと思います。

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このブログでも「リミッツ・オブ・コントロール」「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」「デッド・ドント・ダイ」といったジャームッシュ作品、「ムーンライズ・キングダム」から「アステロイド・シティ」に至るすべてのウェス・アンダーソン作品の他、「ミラノ、愛に生きる」「少年は残酷な弓を射る」「胸騒ぎのシチリア」「ヘイル、シーザー!」「サスペリア」「どん底作家の人生に幸あれ!」と彼女の出演作を多数取り上げてきましたが、多くの名匠が競うように彼女を使う理由がよくわかります。

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その他の出演者としては、ホテルスタッフのビル役でジョセフ・マイデル(Joseph Mydell)、レセプション女性役でカーリー・ソフィア・デイヴィス(Carly-Sophia Davies)、一瞬しか現れない従兄弟役で映画プロデューサーのクリスピン・バックストン(Crispin Buxton)が出ています。

公式サイト
エターナル・ドーター

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2024年1月15日 (月)

映画「ショーイング・アップ(Showing Up)」

Showing Up 先週の「ファースト・カウ」に続いて今回もケリー・ライカート(Kelly Reichardt)監督の作品です。「ファースト・カウ」は2019年の作品ですので、2022年製作の本作が最新作ということになりますが、一昨年のカンヌ映画祭でプレミア上映されたにもかかわらず、日本では一部劇場で限定公開後、ネット配信になるようです。

舞台はオレゴン州ポートランド。主人公のリジーはオレゴン芸術工芸大学(OCAC)で働きながら彫刻家として作品を発表している女性です。ちなみにOCACは2019年に閉校するまで実在した大学で、その卒業生であるシンシア・ラーティ(Cynthia Lahti)の作品がリジーの作品として劇中に登場します。

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リジーは独り暮らしですが、引退した陶芸家の父ビル、リジーと同じ大学に勤務している母ジーン、兄のショーンがそれぞれ近くで暮らしています。ショーンも芸術家のようですが、特に活動しないで引きこもっているようで、ジーンが溺愛しているせいではないかとリジーは問題視しているようです。

リジーの暮らすフラットの大家は隣人のジョー。リジーと同世代のアジア系女性で、彼女もアーティストです。どうやらジョーはそのフラットを買って改修し、賃料収入で生活を支えながら芸術活動を行っているようで、大学で働きながら作品を作っているリジーとは状況が異なりますが、それでも友人同士ではあるようです。

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現在のリジーの悩みは、間近に迫った個展の準備と、フラットの給湯設備が壊れていて、何度ジョーに言っても直して貰えないこと。彼女も個展を控えていて、遠方の安い業者に注文したいが、その時間がとれないからと延ばし延ばしにされているのです。

友達料金で安く貸しているのだから、こちらの状況を考慮して少し我慢して欲しいということなのでしょう。とはいえ、忙しいといいながら、どこかからタイヤを拾ってきて庭先にブランコを作るなど、いろいろ気に障ります。

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作品が完成しなくて休みをとった晩、リジーの部屋に迷い混んできた鳩を彼女の飼猫が傷つけてしまいます。その面倒をみることを厭ったリジーは鳩を追い出しますが、翌朝、ジョーが怪我をしている鳩を見つけ、自分が出かけている間、預かって欲しいとリジーに託します。

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結局、リジーは鳩を獣医に連れて行き、150ドル支払うことになるのですが、それを鳩を受け取りにきたジョーに言うと、来月の家賃で相殺するように言われます。鳩のせいで作品に集中できなかった上に治療費まで立て替えさせられて鬱憤が高まります。

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自立できない兄も心配ですが、お人好しの父も気になります。空いている部屋に知らない人を滞在させるクセがあるようで、今はリーとドロシーというヒッピーあがりの旅行者を住まわせていて、リジーはそれが気に入りません。

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また久しぶりにショーンの家を訪ねると、TVがよく映らないのは隣人が電波を飛ばしているせいだと陰謀論を唱えます。それを母親に伝えると、ショーンは誤解されている天才だからと、真剣に取り合ってもらえません。

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こういったストレスフルな人間関係を抱えながら作品作りに勤しむリジー。母との関係の難しさ、お調子者の父とすべてに懐疑的な兄のコントラスト、怪我をした鳩の象徴性などをスパイスに、芸術家としてライバルでもある隣人ジョーとの交流を軸にした物語が展開していきます。

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主演は「マンチェスター・バイ・ザ・シー」「ゲティ家の身代金」「フェイブルマンズ」のミシェル・ウィリアムズ(Michelle Williams)。じんわり感情を滲ませる演技がいつもながら絶妙です。ライカート作品はこれが4作目だそうですが、前作にあたる「ライフ・ゴーズ・オン」でニューヨーク映画批評家協会の助演女優賞を獲得しているそうです。

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隣人のジョーを演じたのは「インヒアレント・ヴァイス」「ザ・メニュー」のホン・チャウ(Hong Chau)。塩田千春を思わせる糸を張った作品を作るアーティストの役ですが、これはミシェル・セグレ(Michelle Segre)の作品だそうです。

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兄ショーンを「ファースト・カウ」のジョン・マガロ(John Magaro)が演じた他、父親役を「きっと ここが帰る場所」「フェイブルマンズ」のジャド・ハーシュ(Judd Hirsch)、その食客であるドロシー役をアマンダ・プラマー(Amanda Plummer)、クリストファー・プラマーの娘ですね、が演じています。

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ショーイング・アップ

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2024年1月 8日 (月)

映画「ファースト・カウ(First Cow)」

First Cow 米国インディーズ映画界で高く評価されているというケリー・ライカート(Kelly Reichardt)監督。本作が長編7作目だそうですが、日本で一般に劇場公開された作品はこれが初めてではないでしょうか。前評判が高かったので観に行ってみました。

とても静かな作品です。物語の舞台は19世紀のオレゴン州。主人公の一人は毛皮猟師のグループと旅してきたシェフの通称クッキー。もう一人の主人公は、ある晩、クッキーが出会った中国系のキング・ルー。クッキーは、ロシア人に追われているというキング・ルーをテントに匿って逃げる手助けをしてあげます。

ある集落のバーで、喧嘩を始めた人の子どもを預かっていたクッキーにキング・ルーが気付き、二人は再会します。キング・ルーは自分が暮らしている小屋に招待して、土地を買って農業を始める準備をしていると語ります。対するクッキーはサンフランシスコでパン屋を始めたいと夢を語ります。

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同じ頃、集落に初めて乳牛がやってきます。その価値の高さからソフトゴールドと呼ばれていたビーバーの毛皮で稼ぎ、当地に拠点を築いた英国人の仲買商が紅茶に入れるミルクが欲しいと英国から輸入した乳牛です。

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それを知ったクッキーとキング・ルーは菓子作りを思いつきます。夜中に仲買商の敷地に忍び込み、密かに乳搾りをしてミルクを盗み、そのミルクを使って作った菓子を売るのです。

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クッキーの菓子はすぐに評判になります。一頭の乳牛に依存する商売ですので拡大するのはリスクですが、キング・ルーは“この集落に乳牛が一頭しかいないから良い商売ができる、乳牛が増えれば儲からなくなる”というマーケティング視点で今のうちに稼ぐべきだと主張します。

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そんなわけでミルクを盗んで菓子を売る日々が続きます。もちろん材料にミルクを使っていることは極秘で、誰かに訊ねられるとキング・ルーは“中国の秘密”と煙に巻きます。

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菓子の人気は仲買商の耳にも入り、試食して気に入った彼は、近々、旧知の隊長が訪ねてくるので、そのときクラフティを焼いて届けて欲しいと彼らに依頼します。元をただせば仲買商の乳牛から盗んだミルクですから非常に危険な取引です。

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しかし拒絶しても、それはそれで疑惑を招きそうですので、クッキーは仲買商のブルーベリーを使ってクラフティを作ることに同意します。

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仲買商にクラフティを届けたところまでは良かったのですが、彼の案内で一同が乳牛を見にいったとき、乳牛が妙にクッキーに懐いていることが微かな不信感を与えたようです。

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クッキーはそろそろ潮時ではないかと言いますが、キング・ルーはもう少し稼いでからここを離れようと主張します。

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翌晩も仲買商の敷地に忍び込み、例によってキング・ルーが樹上で見張り、クッキーが搾乳していると、飼い猫を探して出てきた使用人が物音を聞きつけ、一同が屋敷から出てきます。二人は何とか逃げますが、乳搾りの痕跡からすぐに犯人が特定され、二人は追われる身になります。

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バラバラに逃げた二人はかろうじて生き延び、キング・ルーの小屋で再会を果たします。隠しておいたカネを回収し、他の州に逃げようとする場面でエンディングを迎えるわけですが、その後に何かが起こり、映画の冒頭で見た1シーンに繋がっていくようです。

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西部開拓時代のアメリカンドリームを題材にしながら、まったくマッチョな要素はありません。菓子作りをするクッキーとそれを売り込むキング・ルーが緩やかな友情で結びつき、平穏な日々を夢見て商売に勤しむだけの控えめな物語です。

血なまぐさい裏切りや暴力が描かれることもなく、だからといって二人の関係が同性愛に発展することもありません。そういう意味でインパクトのある映画ではありませんが、それがかえって強いリアリティを感じさせ、後を引くような余韻を残します。

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直截な暴力シーンがないとはいえ、会話の端々で暴力に溢れた世界にいることを感じさせます。そういった環境の中で、二人の男が暴力とは無縁に一攫千金を狙うという設定が独特の世界観に結びつきます。また、ティータイムに招待された先住民が、白人はビーバーの尻尾を食べずに廃棄すると不思議がることや、中国出身のキング・ルーが世界各国で見識を広め、英語だけでなく先住民の言葉も操るなど現代社会への風刺を効かせています。

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主人公であるクッキー役はジョン・マガロ(John Magaro)、キング・ルー役はオリオン・リー(Orion Lee)。仲買商を演じたのは「エンパイア・オブ・ライト」のトビー・ジョーンズ(Toby Jones)、先住民という設定のその妻を演じたのは「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」のリリー・グラッドストーン(Lily Gladstone)、隊長の役で「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」にも出ていたスコット・シェパード(Scott Shepherd)、仲買商の手下のならず者の役で「トレインスポッティング」のユエン・ブレムナー(Ewen Bremner)が出ています。

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フレデリック・レミントン(Frederic Remington)の絵画を参照したという撮影監督は、以前からこの監督の作品に関わってきたクリストファー・ブローヴェルト(Christopher Blauvelt)。過去にマイク・ミルズ監督「人生はビギナーズ」、ジェシカ・チャステイン製作・主演「ラブストーリーズ」、ガス・ヴァン・サント監督「ドント・ウォーリー」、ジョナ・ヒル監督「ミッドナインティーズ」なども手がけています。

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ファースト・カウFirst Cow

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2023年12月31日 (日)

映画「枯れ葉(Kuolleet lehdet)」

Kuolleet lehdet フィンランドの名匠アキ・カウリスマキ(Aki Kaurismäki)監督の最新作です。「TOVE トーベ」のアルマ・ポウスティ(Alma Pöysti)が主演し、今年のカンヌ映画祭で審査員賞を受賞しています。

前作「希望のかなた」、前々作「ル・アーヴルの靴みがき」では欧州に流れ込む移民の問題を取り上げていましたが、今回はストレート過ぎるほど真っ直ぐなロマンスです。とはいえ、その背後にはウクライナの戦禍やアルコール依存などの社会問題があり、それらを滲ませながら労働者階級の悲哀を描いていきます。

物語の舞台はヘルシンキ。時代は特定していないようで、ウクライナの戦況を伝えるラジオ放送だけ聞いていると現在のようですが、劇中で登場するパブ(California Pub)の厨房に貼られていたのは2024年のカレンダー、登場人物たちが使っているのはスマホが普及する前の小ぶりな携帯電話、さまざまな場面で昔ながらの路面電車やラジオが登場し、映画館では2019年製作の「デッド・ドント・ダイ」が上映されています。ノスタルジックな世界観で覆うことで、生々しさを薄めた不思議な空間です。

映画の始まりは、スーパーマーケットのレジカウンターで会計されていく冷凍肉の映像。大量に買い込んで備蓄しておくのか、レジ係がベルトコンベアで流した何パックもの肉塊が積み重なっていきます。それらは食べ物というより、ただ流れ作業で処理されていくモノに過ぎません。

その巨大スーパーで働いているのが主人公の一人であるアンサ。フィンランド語でAnsaというのはtrap、罠とか仕掛けとかの意味だそうですが、廃棄する食品を貰いに来たホームレスへの親切な対応をみる限り、裏表のない善良な女性のようです。

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もう一人の主人公、ホラッパはサンドブラスターで部品洗浄している労働者で、職場の寮と思われるコンテナハウスに住んでいるのですが、同僚で同居人のフオタリに誘われて嫌々ながらカラオケバーに出かけ、スーパーの同僚リーサと訪れていたアンサと出会うことになります。とはいえ、フオタリがリーサに話しかけただけで、アンサとホラッパが話したわけではありません。お互いに何となく気になるといった距離感です。

二人はは惹かれ合っているにもかかわらず、なかなか接近しません。たとえばバス停で酔いつぶれて寝ていたホラッパのそばをアンサが偶然に通りかかりますが、ちょっと声をかけただけで、目の前に到着したバスで立ち去ってしまいます。

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アンサはスーパーの廃棄食品を少し持ち帰って夕食にしているのですが、ある日の退勤時、抜き打ちの荷物検査があって見つかってしまいます。たかが小さなサンドイッチひとつですが、上司は容赦なく彼女を馘首にしてしまいます。収入を失い、電気代の支払いにも困った彼女は、インターネットカフェのPCを使ってカリフォルニアパブの仕事を見つけます。

皿洗いとして採用されるのですが、ほどなくパブのオーナーが薬物の違法売買で捕まって休業になってしまいます。まだ給金を受け取っていなかったアンサは呆然と立ち尽くしますが、たまたまその場に居合わせたホラッパがアンサをカフェに誘ったことで、二人は初めて会話を交わすことになります。

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そして二人はリッツ劇場という古めかしい映画館で「デッド・ドント・ダイ」を観ます。カウリスマキの映画に出演したこともあるジム・ジャームッシュ監督の作品ですね。

デートっぽい展開ですが、二人はまだ互いの名前すら知りません。別れ際、「気狂いピエロ」のポスターの前でアンサが電話番号を書いた紙切れを渡し、二人の道筋が開けそうになりますが、彼女を見送ったホラッパが煙草を吸おうとポケットに手を入れた瞬間、紙切れが飛んでいってしまいます。

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ホラッパはコンテナハウスに帰ってから電話番号を失ったことに気付き、翌晩からリッツ劇場の前でアンサが通りかかるのを待ちます。電話を待ちわびたアンサもリッツ劇場の前に行ってみますが、ホラッパが立ち去った後で、煙草の吸い殻が積み重なっているだけでした。

さらに運の悪いことに、もともと調子が悪かったサンドブラスターのホースが外れてホラッパは怪我をしてしまいます。整備を怠った雇用者の責任ですが、救急車の到着前にアルコール検査をすることになり、ホラッパは飲酒していたことがバレて馘首になります。寮住まいだった彼は住居も失い、ベンチで寝るような生活に追い込まれてしまいます。

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離れていた二人は、また偶然に出会い、アンサの部屋で食事するところまで進むのですが、ホラッパの飲酒が原因でまた離れてしまうことになります。こうして出会ったり離れたりしながら、ふわっとした物語がとりとめなく紡がれていきます。

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他愛ないエピソードが積み重なっていくだけの作品ですが、随所でクスッと笑わせたり、細かい仕掛けがあったりするところがカウリスマキらしいところでしょう。

たとえばアンサがリーサにホラッパの愚痴をいう場面。彼女たちがいるカフェの名前がブエノスアイレスというのも気になるところですが(この店でしょうか)、二人の飲み物のマドラーが寿司モチーフなのは非常に気になります。下の写真は前作「希望のかなた」上映時に配られたノベルティのシールですが、この映画からの引用ですね。

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衣装の色の使い方も特徴的ですが、音楽も例によって工夫されています。特に印象に残ったのはマウステテュトット(MAUSTETYTÖT)という女性デュオのバンド。まったく愛想がなくて、非常にカウリスマキ的ですが、実際にフィンランドで活躍しているミュージシャンだそうです。

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ということでカウリスマキ的な世界にどっぷり浸れる一本です。劇中のラジオからはずっとウクライナの被害が流れていますが、それとは対照的にほのぼのとした後味を残してくれます。年末年始の空き時間にのんびり楽しめる映画だと思います。

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2023年12月25日 (月)

映画「マエストロ その音楽と愛と(Maestro)」

Maestro ブラッドリー・クーパー(Bradley Cooper)の長編監督第2作です。前作「アリー/ スター誕生」ではレディー・ガガの歌を楽しませてくれましたが、本作ではキャリー・マリガン(Carey Mulligan)の素晴らしい演技を堪能させてくれます。

タイトルの“マエストロ”とは指揮者で作曲家のレナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein)のこと。その人をブラッドリー・クーパー自身が演じ、妻フェリシア役をキャリー・マリガンが演じます。この夫婦を軸に展開する伝記映画ですが、本質的にはレナードに振り回されるフェリシアの苦悩がテーマであり、レナードは狂言回しのような役割を担うことになります。

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物語は二人の出会いから晩年までを時間軸に沿って辿っていきます。3人の子どもに恵まれ、結果的に最期まで添い遂げましたので、ある意味、強い信頼関係と絆で結びついた夫婦だったわけですが、話を複雑にしていたのがレナードが同性愛者だったこと。彼らが結婚した1951年当時はそれを公表できる時代ではなく、同性愛者の多くが便宜的な結婚生活を送っていました。

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この映画にも、彼らの娘が父に関するウワサを耳にして悩んでいたとき、フェリシアがレナードに対し、沈黙を守るように厳命するシーンが出てきます。相方が同性愛者であることを夫婦で隠し続けた時代なのです。

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レナードとフェリシアの特異点は、そういう夫婦でありながら、最期まで互いに愛し合っていたこと。レナードの放逸が終わることはありませんでしたし、それが原因で破局を招きそうになることもありましたが、最終的にフェリシアが譲歩して許します。こういった独特な愛のありようが映画の主題になっていて、キャリー・マリガンはそれを言葉にせず、表情で伝えます。彼女の技量あってこその映画でしょう。

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キャリー・マリガンは英国生まれの英国育ちですが、実際のフェリシアに似せて微かにスペイン語訛りのある英語で話します。フェリシアは東欧系米国人の父親とコスタリカ人の母親のもとコスタリカのサンホセで生まれ、チリの英国系修道院学校で教育を受けた人。21歳のとき米国に移住し、ブロードウェイで女優をしていてレナードと出会うのですが、そこまでの生活環境を考えると訛りを真似るのも一筋縄ではいかないことがわかります。

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また20代で出会った頃から晩年の50代まで特殊メークなしで演じ分けているのも特筆に値するでしょう。彼女の演技は「17歳の肖像」から観ていますが、観る度に驚きを与えてくれる俳優です。

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対するブラッドリー・クーパーの演技。「アリー/ スター誕生」を観たときのブログに“苦悩する役は似合わない”と記しましたが、そういう意味で今回は役作りし易かったのではないでしょうか。レナードのノンシャランな性格、フェリシアが抱え込んでいる辛苦を顧みず、好き放題する姿をブラッドリー・クーパーが自然に表現します。

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ただ監督と男優を兼務する難しさはあったと思います。たとえばイーリー大聖堂でマーラー交響曲第2番「復活」を指揮するシーン。何年も練習したそうで、実際の公演の記録映像に比べても見劣りしない真に迫った熱演でしたが、こういうところで演奏したという事実だけ伝えればよいところ、熱狂的にタクトを振るシーンが延々と続きます。レナードのワシ鼻に似せた付け鼻と並んで評価が分かれる部分だと思います。

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その他の出演者としては娘ジェイミー(Jamie Bernstein)役を「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」に出ていた、というよりユマ・サーマンとイーサン・ホークの娘といった方がわかりやすいかも知れませんが、マヤ・ホーク(Maya Hawke)が、レナードの妹シャーリー(Shirley Bernstein)役をサラ・シルバーマン(Sarah Silverman)が演じています。

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マエストロ その音楽と愛とMaestro

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2023年12月18日 (月)

映画「ナポレオン(Napoleon)」

Napoleon もう80代半ばになるというリドリー・スコット(Ridley Scott)監督ですが、まったく衰えを見せず大作を繰り出してきます。日本公開作としては「ゲティ家の身代金」「最後の決闘裁判」「ハウス・オブ・グッチ」に続く史実ベースの映画となりますが、この誰もが知る人物を熟練の巨匠がどう描くかが見どころでしょう。

ナポレオンを演じるのはホアキン・フェニックス(Joaquin Phoenix)。近作は「ビューティフル・デイ」「ドント・ウォーリー」「ゴールデン・リバー」「ジョーカー」「カモン カモン」とほとんど観ていると思いますが、コスプレ系の歴史ものへの出演は珍しいのではないでしょうか。もしかするとリドリー・スコット監督の「グラディエーター」以来かも知れません。

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映画はマリー・アントワネットの処刑シーンで幕開け。若い砲兵将校だったナポレオンは、群衆の中からその時代の節目を見届けます。なかなか刺激的な始まりですが、史実にはまったく沿っていないそうで、当時、ナポレオンはトゥーロンで戦っていたそうですし、ギロチン刑がテュイルリー宮殿ではなくコンコルド広場(革命広場)で行われたことは周知の事実です。

もちろん監督は史実との相違点について問われる度に一蹴しているそうです。ごく最近の事件で資料も証人も残っている「ハウス・オブ・グッチ」でさえ、あり得ない作り話を加えていた監督ですから、200年以上前の出来事について正確性を問うても意味がないということなのでしょう。

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とはいえ、もしそうなら、もっと思い切って創作してしまっても良かったのではないかと思います。有名な歴史的事件を網羅するためか、物語が駆け足で進んでしまい、茫洋とした後味しか残しません。ホアキン・フェニックスが拗ねたような表情を駆使して新たなナポレオン像を提示しようと奮闘しますが、それもやや空回りしている感じです。

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さて物語の展開に戻ると、パリの処刑をみた後、ナポレオンはトゥーロン攻囲戦を指揮して戦果を得ます。1795年のヴァンデミエールの反乱を鎮圧して総司令官に昇格した後、ボアルネ子爵の未亡人で社交界の花形だったジョゼフィーヌと結婚。実際はナポレオンより6歳年上だったわけですが、映画ではホアキンより14歳年下のバネッサ・カービー(Vanessa Kirby)が演じていますので、経験豊かなジョゼフィーヌに惑わされる感じはありません。

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そうして戦争に明け暮れ、ジョゼフィーヌとの結婚生活に翻弄される日々が始まります。映画ではエジプトのピラミッドに向けて砲撃する場面や、アウステルリッツの戦いで敵を出し抜く場面と併行して、ジョゼフィーヌの愛人の噂を耳にしてエジプトから戦線離脱した逸話や、彼女の不妊に関する家庭内のイザコザが描かれます。

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戦闘シーンは圧倒的な迫力です。きっと膨大な費用をかけて撮ったのでしょう。広大な土地いっぱいに散った兵士たちを複数台のカメラが映像に収めます。しかし、いかんせん長い。準備時間や段取りの手間を考えると、短い映像にするのはもったいないでしょうが、似た情景を何度も繰り返し見せられるのはつらいものがあります。

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皇帝に上り詰めた後、ボロジノの戦いで大きな損失を出し、最終的に失脚してエルバ島に送られることになります。

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そしてエルバ島脱出と復位、ワーテルローの戦いを経て、セントヘレナ島で生涯を終えるわけですが、映画ではマリー=ルイーズと再婚後も最期までジョゼフィーヌへの思いを失わなかった一途な人として描かれます。

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これがリドリー・スコットと脚本家デビッド・スカルパ(David Scarpa)の解釈だと思いますが、それを支えるホアキン・フェニックスの演技、どことなく気弱さや不安定さを滲ませた佇まいや虚ろな表情は流石です。

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ということで大変豪華な大作ですので、映画館の大スクリーンで迫力を味わうべき映画でしょう。個人的には、戦闘シーンをぐっと圧縮してナポレオンの人間性の描写に力を入れてくれれば、もっと楽しめたのではないかと思っていますが、これは完全に好みの問題ですね。

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主な登場人物としては、上に記したホアキン・フェニックス、「The Son 息子」のバネッサ・カービーの他、ポール・バラス役で「消えた声が、その名を呼ぶ」のタハール・ラヒム(Tahar Rahim)、ちょっとわかりにくいでしょうがウェリントン公の役で懐かしのルパート・エベレット(Rupert Everett)が出ています。

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2023年12月11日 (月)

映画「ティル(Till)」

Till 2022年3月29日、つい昨年のことですが、米国で反リンチ法(Emmett Till Antilynching Act)が制定されました。人種差別に基づくリンチを罰する法律で、日本人からすれば“こんな当たり前のことを今ごろ法制化するのか”と驚いてしまいます。以前から違法だったヘイトクライム(249条)に“共謀”の概念を加え、リンチを明確化しただけですが、それさえも議論を呼ぶあたりが(結局、重傷と死亡に限定されました)米国の特殊性でしょう。

反リンチ法に冠された“Emmett Till”というのは1955年にリンチに遭って殺害された少年の名で、その事件を映画化したのが本作。被害者エメット・ティルとその母親メイミー・ティル(Mamie Till-Mobley)にフォーカスし、事件の経緯とその後が描かれます。

1955年というのは、第二次世界大戦が終わって10年。公民権運動が盛り上がった時代です。多くの黒人が米国人として戦い、米国に命を捧げたにもかかわらず、南部の各州ではジム・クロウ法による隔離政策が敷かれ、相変わらず奴隷労働が行われていました。それに嫌気が差した黒人たちは、デトロイトやシカゴのような北部の工業都市に移住していったわけですが、メイミー・ティルも両親とともにミシシッピ州からイリノイ州に移り住んだ一人です。

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彼女は当地でルイス・ティルと結婚し、男児エメットを得ます。その後、離婚、再婚、離婚を経て、空軍に勤めながら母アルマと共にエメットを育てます。

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エメットは1955年にメイミーの叔父モーズ・ライトのもとを訪ねることになります。ライトはミシシッピ州マネーで綿花農業に従事しながら説教師をしていましたので、エメットとしては南部の暮らしを見てみたいといった軽い気持ちで旅行に行ったのでしょう。当時、彼は14歳になっていましたが、シカゴで生まれ育ったことから、南部のことをほとんど知りません。子ども時代しか過ごさなかったといえ、事情がわかっているメイミーは南部行きに反対しましたが、最終的に根負けし、口うるさく注意して送り出すことになります。

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都会育ちの子どもに綿花摘みのような労働は馴染みません。綿花畑で働いてみても、すぐに放り出してしまうエメット。その後、従兄弟たちとブライアント食料品店に出かけ、キャンディを買います。店の前にいるほとんどの客が黒人だったことから気が緩んだのでしょう。店主のキャロライン・ブライアントに軽口を叩き、憤慨した彼女に口笛を吹きます。怒った彼女は停めていた車に銃を取りに行き、それを見た黒人たちは散り散りに逃げ去っていきます。

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従兄弟たちにはことの深刻さがわかりますので、すぐシカゴに帰るべきだと言いますが、エメットは気にしません。ちょっと悪ふざけしただけという感覚だったのだと思います。

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すぐに何も起こらなかったのは、エメットがよそ者だったため、居場所探しに手間取っただけでした。数日後の晩、キャロラインの夫ロイと兄弟のJ.W.ミランがモーズ・ライトの家に押しかけてきて、銃をちらつかせながら、エメットを差し出せと脅します。ライトは為す術もなく、ただ連れ去られるエメットを見ているだけです。

事件の発覚後、ライト家を訪ねたメイミーは、玄関の脇にライフルが架けられていることに気付き、なぜ銃を取って彼らを追い返さなかったのかと叔父をなじります。それに対してライトは“彼らに銃を向けることは、この地の白人コミュニティに銃を向けるのと同じだ”と答えます。彼らを撃てば、白人と黒人の全面的な争いとなり、多くの人が血を流すことになるのです。

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そういう土地でリンチを受けて殺されたエメット。遺体のむごたらしい状態を見てメイミーは言葉を失いますが、それをシカゴに移送し、棺を開けた状態で葬儀を行います。息子が受けた残虐行為を世に知らしめようと考えたわけです。

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これは初めての試みではなく、映画の中でも触れられているように、その直前に暗殺された有権者登録運動の活動家ジョージ・リー(George W. Lee)の葬儀に倣ったものであり、二人の死に対する怒りがNAACPの活動と公民権運動を後押しすることになります。1962年にボブ・ディランは「The Death of Emmett Till(Youtube)」を歌っています。

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とはいえ、1955年当時の南部はあらゆる点で不公平がまかり通っていました。白人の陪審員だけの裁判でロイ・ブライアントとJ.W.ミランは無罪を勝ち取りましたし、証人として出席していたメイミーが、その評決を聞く前に裁判所を後にしたのも実話だそうです。

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そのメイミー、この映画の実質的な主人公ですが、彼女を演じたのがダニエル・デッドワイラー(Danielle Deadwyler)。1982年生まれながら、子役時代から活躍していてキャリアは長いそうです。本作での演技を高く評価され、米国内でいくつかの主演女優賞に輝いています。

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エメットを演じたのはジェイリン・ホール(Jalyn Hall)。メイミーの母アルマを演じたのはウーピー・ゴールドバーグ(Whoopi Goldberg)で本作のプロデューサーも務めています。教育映画のような真面目な作品の割に制作費がかかっていそうなのは、彼女と共に007シリーズのバーバラ・ブロッコリ(Barbara Broccoli)がプロデューサーに名を連ねているからかも知れません。

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監督・脚本はシノニエ・チュクウ(Chinonye Chukwu)。2019年公開の前作「Clemency」で注目を集めたナイジェリア出身の女性監督だそうです。

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2023年12月 4日 (月)

映画「シチリア・サマー(Stranizza d'Amuri)」

Stranizza d'Amuri 俳優出身のジュゼッペ・フィオレッロ(Giuseppe Fiorello)監督が初めて手がけた長編映画です。2009年の「シチリア!シチリア!」に両替屋の役で出ていたそうですが、路上でドル替えを叫ぶ人が出てきて、終戦後の場面になったことを伝えていたのは憶えているものの、演じていた人の風貌は忘れてしまいました。

そういう意味で、監督業への転向は成功だったのではないでしょうか。長編第一作目とは思えないほど完成度の高い作品です。シチリアの景色や風物詩と主役の少年たちの美しさを最大限に活かし、報われない愛の物語を清々しい映像と印象的な音楽で丁寧に綴っていきます。

原題を直訳すると、愛の不思議さ、奇妙さといった意味だそうですが、イタリアで人気のシンガーソングライター、フランコ・バッティアート(Franco Battiato)の楽曲のタイトルからとったものだそうです。この曲は映画のエンディングで歌詞の字幕付きで流れ、物語のテーマを補足します。

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主役は二人の少年、16歳のニーノと17歳のジャンニで、時代は1982年。ワールドカップでイタリアが西ドイツを破って優勝した年です。

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ニーノは学校を卒業したばかりで花火職人の父親の仕事を手伝っています。両親とシングルマザーの姉ジュゼッピーナ、その息子(つまりニーノの甥)トトと一緒に暮らしているのですが、家の庭先には叔父(父の弟)のチッチョが住むトレーラーハウスがあり、休日にはもう一人の叔父(父の兄)ピエトロとトトと一緒に兎狩りに出かけます。軒先では自家製のドライトマトを作っていますし、昼下がりには外のテーブルにみんなが集まって食事します。いかにもイタリアの大家族らしい楽しげな暮らしです。

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対するジャンニは母親リーナとその同棲相手フランコと一緒に暮らしていて、やや孤立している印象です。フランコが経営するバイク屋で働いていますが、こき使われているようで、あまり幸せそうには見えません。その上、近くのバールに集まる男たちからオカマ扱いされ、笑いものにされています。

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ある夕方、町の有力者の家にモペッドを届けに行くように命じられたジャンニのことを、バールの常連であるトゥーリが追いかけてきて、ちょっかいを出します。同じ頃、ニーノは卒業祝いに買って貰ったスクーターの試運転をしていたのですが、Y字路での出会い頭、追っ手に気を取られていたジャンニと衝突してしまいます。路肩に投げ出されて気を失ったジャンニに人工呼吸をして蘇生させるニーノ。意識が戻って安堵したニーノは、ノートの切れ端に住所を記して渡します。

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数日後、ニーノの家にジャンニが訪ねてきます。フランコから離れて母と二人で暮らしたいのでニーノの父親アルフレードの花火工房で働きたいという用件ですが、もちろんそれだけではありません。それに対してアルフレードは、自分と息子だけで人手は足りているので、採石場で使って貰えないか兄のピエトロに訊いてみようと提案します。

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ジャンニはピエトロが監理する採石場で働くことになり、ニーノは仕事終わりにジャンニをスクーターで迎えにいって一緒に過ごすようになります。次第に二人の距離が縮まっていくのですが、そんなある日、アルフレードの喘息が悪化し、医者から仕事を休むようにいわれたことで、ジャンニを雇うことになります。そうしてジャンニとニーノは花火工房の内外で二人で過ごす時間が長くなり、より親密になっていきます。

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ロケ地はシチリアのノト(Noto)やマルツァメミ(Marzamemi)だそうですが、ジャンニとピエトロが泳ぎに行く川や海の美しさは並大抵ではありません。空撮を使ったり、水中撮影したり、さまざまな方法を駆使してシチリアの自然の素晴らしさを見せつけてくれます。二人の少年に降り注ぐ陽光が、彼らの幸せな時間を包み込みます。

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そして二人で打ち上げに行く花火。彼らの姿と夜空の花火の組み合わせが素晴らしく、大きく輝き、ぱらぱらと落ちていく火玉が彼らのはかない関係を象徴しているようです。英語圏では“Fireworks”のタイトルで公開されているのですが、花火職人という設定がとても大きな効果をもたらしている作品だと思います。

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難しいのはこの時代、まだ同性愛が社会に受け入れられていなかったこと。おそらくジャンニは以前、そういった理由で矯正施設に入れられていますし、ニーノの家族がそれを知ることになって二人の関係は終焉を迎えることになります。とはいえ、会えないとなれば思いは募るもので、結局、ワールドカップ優勝の晩、二人は久しぶりに再会します。

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映画の終盤はオープンエンドになっていて、美しい景色の中、銃声が響いて終わります。その銃声が何だったのか、誰が何を撃ったのかは明示されません。イタリア国旗がかけられたスクーターがぽつんと残されている映像だけです。

ネタバレになりますがこの物語、1980年にシチリアのジャッレという町で25歳のジョルジオと15歳のアントニオが亡くった事件がベースになっています。詳細は“Giarre murder”で検索すると見つかると思いますが、このとき銃の引き金を引いたと自供したのはアントニオの13歳の甥フランチェスコでした。映画の物語に重ねるとニーノの甥、終盤の兎狩りの場面でようやく怖がらず銃を扱えるようになったトトですね。

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もちろん幼い甥がこれほどのことを単独で行うわけはなく、社会的な制裁や家族や当人たちの恥の概念など込み入った背景があったわけですが、これをきっかけにイタリア最大のゲイ組織Arcigayが設立され、同性愛者の権利擁護が活発化したそうです。ちなみに現在のArcigayの会長はNatascia Maesiという女性です。

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