カルチャー

2022年8月 8日 (月)

映画「C.R.A.Z.Y.」

C.R.A.Z.Y. ジャン=マルク・ヴァレ(Jean-Marc Vallée)監督の作品はこれまで「カフェ・ド・フロール」「ダラス・バイヤーズクラブ」「わたしに会うまでの1600キロ」の3本をこのブログでご紹介していますが、どれも傾向が異なり、そういう意味でとらえどころのない監督という印象があります。敢えていえば共通項は音楽に凝りまくっていることと、スピリチュアル系の要素が含まれていることでしょうか。精神世界への意識が高い監督だったのかも知れません。

この「C.R.A.Z.Y.」は2005年に製作され、いままで日本未公開の作品でした。順番でいえば「カフェ・ド・フロール」の前作である「ヴィクトリア女王 世紀の愛」のひとつ前。つまり本作をきっかけに大作を手がけるようになったわけですね。これも上記のどの作品とも毛色が異なるドラマで、ケベックで暮らす両親と男の子5人から成るボーリュー家の物語です。

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中心となるのは4男のザック(ザカリー)。1960年のクリスマスに生まれた“特別な子”です。なぜ“特別な子”なのかといえば、近所の占い師、というより実体としてはホームパーティー商法でタッパーウェアを売っている老婆がオカルト的なノリで集客しているだけなのですが、彼女がザックの母親にそう伝えたから。その話を信じた母親が、知り合いが怪我をしたときに念力を送るようなことをさせてたまたま効果があったようで、それ以来、イエス様と同じ誕生日の“特別な子”という立場が定着したようです。

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ザックの父親は、老婆の話を単なる販促手段だと切り捨てますし、ザックの念力も信じていないようですが、それでも夫婦ともども保守的であることに違いはありません。たとえばザックが母親の服を着て遊んでいるのをみて父親は激怒します。オカマのような真似をするな、というわけです。

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そんな父親の楽しみは音楽。ことあるごとにシャルル・アズナヴールの「世界の果てに(Emmenez-moi)」を歌い上げますし、国内盤とは音が違うからと買ったパッツィー・クラインの輸入盤を愛聴しています。

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夫婦の子どもたちはすべて男の子で、文字を読むのが好きなクリスチャン、反抗的なレイモンド、スポーツ好きのアントワーヌ、そしてザック、その後しばらくして末っ子のイヴァンが生まれます。

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あるとき、父親が大切にしていたパッツィー・クラインの「CRAZY」をザックが落として割ってしまいます。それを黙っていたザックが嘘つきと罵られるのですが、実はこのレコード、終盤まで絡んできます。ちょっとネタバレになりますが、本作のタイトルはこのレコードと5人兄弟、Christian、Raymond、Antoine、Zachary、Yvanの頭文字に関連していて、ともに大切な要素です。

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既にお気づきかも知れませんが、ザックはゲイです。しかし保守的な両親と男子だけの兄弟に囲まれて育ち、自分がゲイであることに気付きつつも、なかなかそれを受け入ることができません。仲の良い従姉妹ブリジットのボーイフレンドであるポールに惹かれながら、ミシェルという女の子と付き合ってみたりします。

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ザックが父親お気に入りの息子だったことも重要です。小さいころから父親と一緒に行動することが多く、兄たちに比べて特別扱いされているといっても良いぐらいでしたが、保守的な父親は彼のゲイ的な行動を見つける度に咎め、父親に受け入れられたいザックは本心を押し殺すことになります。

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また兄たちともたびたび衝突することになります。ザックがデヴィッド・ボウイの「Space Oddity」のレコードをかけ、ポールとの思い出に耽りながら歌っていると、部屋に入ってきたアントワーヌにいきなり突き飛ばされて怒鳴られます。家の外には彼をオカマ呼ばわりする連中が集まってはやし立てています。

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「Space Oddity」が発表されたのは1969年の夏ですが、1973年発表の「Aladdin Sane」のアルバムジャケットを真似たメイクをしていることから、きっと10代半ばでしょう。ポールを夢想しながら曲の世界に身を委ね、次第に解放されていく一連のシーンはこの映画の見どころの一つだと思います。背景も凝っていて丸鏡がかけられている壁紙はピンクフロイドのDark Side of the Moonで、収録曲のThe Great Gig in the Skyが挿入歌に使われいます。

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5人兄弟のうち最もマッチョで口の悪いレイモンドとはたびたび衝突し、彼との関係が父親との関係に並ぶ重要な軸になります。文学青年のクリスチャンやスポーツマンのアントワーヌに対し、レイモンドは不良としてアイデンティティを確立していくのですが、結局はドラッグ絡みで家から出て行くことになります。彼が何故ドラッグにはまったのか、何から解放されたかったのかという問いが物語の隠し味になっているような気がします。

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また父親が好んで歌う「世界の果てに」も隠し味でしょう。この映画ではほとんどの挿入歌の歌詞が字幕に出ますので、選曲理由が見えやすくなっていますが、この「世界の果てに」というのは、北国の灰色の空の下で暮らす人が、青空の下で裸同然で暮す南国を夢見る歌。つまり父親の愛唱歌は、ここから抜け出したいという欲望を歌ったものなのです。

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終盤、ザックは自分探しのためエルサレムへ旅します。これが父親との和解のきっかけになるのですが、この異国の風景が“地の果てまで私を連れてって”という歌詞とぴったり呼応します。ちなみにロケ地はイスラエルでなく、モロッコのエッサウィラだそう。ここで三度目の臨死体験をするあたりは監督お得意のスピリチュアル系の要素でしょう。

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ケベックでゲイとして育ったフランソワ・ブーレイ(François Boulay)の経験をベースに、監督と共同で脚本を執筆したそうです。青年時代のザックを演じたマルク=アンドレ・グロンダン(Marc-André Grondin)、レイモンドを演じたピエール=リュック・ブリラント(Pierre-Luc Brillant)、そして父親を演じたミシェル・コテ(Michel Côté)の好演が光る一作です。

公式サイト
C.R.A.Z.Y.C.R.A.Z.Y.

[仕入れ担当]

2022年8月 1日 (月)

映画「ボイリング・ポイント 沸騰(Boiling Point)」

Boiling Point 全編ワンカットで撮って緊迫感を高める手法は「1917 命をかけた伝令」あたりからの流行なのでしょうか。この「ボイリング・ポイント」もそれに連なる作品ですが、凝った作り込みで技術力を見せつけるのではなく、ラフな手撮り映像でリアリティを感じさせるタイプの映画です。

映画の始まりは、シェフのアンディ・ジョーンズが電話をしながらレストランに出勤する場面。何やら込み入った話をしながら、店からの電話にはもう少しで着くからと言い訳をしています。どうやらアンディは家を出て店で寝泊まりしていたものの、ようやく部屋を見つけて移ったばかりのようです。

ちなみにロケ地になったこの店はハックニーのダルストンで実際に営業しているJones & Sonsというモダン・ブリティッシュ・レストランで、アンディ・ジョーンズという役名は現実の店名に絡めたのかも知れません。

店に着くと、ちょうど英国食品基準庁(FSA)の調査官に来ているところ。調理用のシンクではなく手洗器で手を洗えだとか、生食する魚介類を扱う場合はゴム手袋をしろとか、食品衛生評価システム(FHRS)に則って指摘した後に以前のランク5からランク3に落とすと告げます(なお実際のJones & Sonsは現在ランク4です)。

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家庭内の問題で悩みながら出勤してきたら、店に着くなり衛生評価の格下げという追い打ち。おまけに手洗器を使わなかった新入りのカミーユはフランス人で英語がよくわからず、そのうえホール担当のベスからはオーバーブッキングになっていること、有名シェフのアリステア・スカイが料理評論家を伴って来店することなどを知らされます。

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アリステアは以前アンディが働いていた店のシェフで、彼としては万全の体制で迎えたいところですが、アンディが前の晩に食材の発注を忘れたことや、調査官の指摘でイシビラメを廃棄したことで、メニューも限られています。メインディッシュはラムとカニとサバとダックの4種しかありません。アリステアへの見栄もさることながら、料理評論家からの評価を考えると、気持ちが萎えていきます。

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ホールを仕切っているベスはオーナーの娘で、オペレーションよりマーケティングが大切です。SNSのインフルエンサーからメニューにないステーキの注文を快く受け、スーシェフとロティシエールから断られると、肉を焼くぐらい簡単でしょとキレる始末。シェフであるアンディがホールとキッチンの双方をなだめながら自ら調理することになります。キッチンポーターの一人は怠け者の黒人、もう一人は妊娠中の女性で、彼女からの苦情を引き受けるのもアンディ。なぜ怠け者の黒人をクビにしていないか終盤でわかりますが、いずれにしても板挟みの連続です。

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もちろんアンディ自身も問題山積みで、アリステアとのやりとりの中で浮上した金銭問題に対応しようとしていると、クルミ油を使ったドレッシングをアレルギーの客に提供してしまうというケアレスミスまで発生してしまいます。それをきっかけにロティシエールの潜在的不満が噴出して、スタッフ間の緊張は最高潮に達します。

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その他、客から人種差別を受けるホール担当の黒人女性、自傷癖を抱えている新入りのパティシェや自分がDJをしているゲイクラブに客を誘導するウェイター、昇給しなければ転職したいというスーシェフなど、いかにもあり得そうな設定を活かしながら、多種多様な人々が働くレストランの人間模様が描かれていきます。

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登場人物の人となりをリアルに伝えながら、同時に今の社会を活写していくうまい作りだと思います。監督のフィリップ・バランティーニ(Philip Barantini)と脚本のジェームズ・カミングス(James Cummings)が2年ほど前に撮った22分の短編を練り直した作品だそうですが、そのおかげか全体的に過不足なく展開し、95分間、緊張が途切れることはありません。

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あまり有名な出演者はいませんが、シェフのアンディを演じたスティーブン・グレアム(Stephen Graham)は「アイリッシュマン」のトニー・プロ役のほか「ロケットマン」にディック・ジェイムズ役で出ていましたし、アリステアを演じたジェイソン・フレミング(Jason Flemyng)は「サンシャイン 歌声が響く街」に母ジーンの上司役で出ていたベテラン俳優で、二人はガイ・リッチーの「スナッチ」で共演しているそうです。

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全編ワンカットで撮ることで、レストランで働く人々の世界を体感させる映画です。実際に飲食業で働く方がご覧になったら胃が痛くなるかも知れませんが、いつも客として飲食店を訪れている方なら結構楽しめると思います。

公式サイト
ボイリング・ポイント 沸騰Boiling Point

[仕入れ担当]

2022年7月25日 (月)

映画「戦争と女の顔(Dylda)」

Дылда 4月に観た「親愛なる同志たちへ」に続いて今年2本目のロシア映画になります。第二次世界大戦終戦直後のレニングラードで再会した二人の女性の物語ですが、戦闘シーンを描かなくても戦争の悲惨さは十分に伝えられるという種類の作品です。

主人公のイーヤは女性兵士として前線で戦っていましたが、頭部を負傷して前線から外れ、今はその後遺症を抱えたままレニングラードの病院で看護婦として働いています。原題のDylda(Дылда)はノッポという意味のロシア語とのこと(英題のbeanpoleも同様)だそうで、イーヤは他の女性たちより頭ひとつ分ほど長身です。

映画の始まりは耳鳴りのような音が響く中、イーヤが立ち尽くしている場面。病院の洗濯場なのでしょう。周囲の人から声をかけられますがイーヤはまったく反応しません。これが彼女の後遺症で、意識が遠のき、身体が硬直したような状態になるようです。

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意識が戻った彼女は、ニコライ・イワノヴィッチ院長が呼んでいると同僚から言われ、院長のところに行きます。彼の用件は、入院患者が死んで食事に余りが出るので、息子のために持ち帰って良いということ。なぜイーヤを特別扱いするのかというと、戦争で自分の息子を失った院長が、一人で男の子を育てているイーヤに同情しているということもあるのですが、他にも理由があることが後々わかります。

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イーヤは息子のパーシュカを大切に育てています。しかしある晩、パーシュカとふざけている最中に後遺症の発作が起こり、パーシュカの上に覆い被さったまま意識が遠のき、彼を圧死させてしまいます。

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その少し後、前線で戦友だったマーシャが帰還してきます。そこで観客は、パーシュカがイーヤの子どもではなかったことを知ります。パーシュカはマーシャが戦死した兵士との間にもうけた子どもで、危険な戦地から息子を逃そうと、レニングラードに戻るイーヤに託したのです。

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そのパーシュカも死んでしまいました。その割に取り乱す様子を見せないマーシャですが、前線で多くの屍をみてきた兵士の死生観というのはそんなものなのかも知れません。

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マーシャは新たに子どもを得ようとしているようで、イーヤと出かけた晩、路上で声をかけてきた二人組の男の誘いに乗り、片方をイーヤに押しつけて一人と関係を持ちます。その相手がサーシャで、マーシャは一時的な関係のつもりだったようですが、たまたま再会してマーシャに言い寄るようになります。

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彼は共産党の有力者の息子で、マーシャに会いに来るときは食糧など生活物資を持ってきてくれます。その恵まれた環境が、子どもの父親として好都合だと思ったのか、単に便利だと思っただけなのか、マーシャも彼を受け入れ始めます。

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イーヤの紹介を受けて病院で働き始めたマーシャでしたが、何の予兆もなく鼻血を出し、倒れてしまいます。院長の診察では、戦地での過労と栄養不足がたたっているとのこと。それと同時に子どもを産めない身体であることを告げられるのですが、実はマーシャ自身もそれを知っていて、それでも子どもを産むことに執着してしまうという、ある種のPTSDなのです。ただ、その原因になったと思われる、生き延びるために彼女が選択せざるを得なかった事柄については終盤まで明かされませんので、ここでは彼女も闇を抱えているということを匂わせるだけになります。

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あるとき、立ちくらんだマーシャが病室のベッドの脇で休んでいると、薄暗い病室にイーヤが入ってきます。実は彼女、院長の命を受け、彼らが“手助け”と呼ぶ極秘の仕事をしていたのです。

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院長とイーヤの秘密を知ったマーシャは二人を脅し、自分の代わりに子どもを産むように強制します。もちろん二人とも嫌がりますが、結局は応じることになります。その理由はそれぞれ異なり、院長は“手助け”が明かされることを恐れてですが、イーヤはパーシュカを死なせた責任とマーシャへの愛情を感じていたから。子どもを産んで、マーシャと二人で育てていきたいと思ったのです。

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イーヤがマーシャを思う気持ちと、ボンボンのサーシャを手なずけて生き延びようとするマーシャの気持ちのズレが二人の関係を難しくします。そこにまったく違った立場の院長ニコライが巻き込まれ、彼の人生を複雑にしていきます。

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物語としてはこのような流れなのですが、重要なのは特権階級であるサーシャの一家を除くすべての人が戦争で傷ついていること。イーヤもマーシャも後遺症を抱えていますし、もちろん入院中の傷痍兵たちも五体満足ではありません。ニコライはじめ多くの人が家族をなくし、家族の今後のために“手助け”を求める負傷兵も多々いるのです。

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本作でカンヌのある視点部門で最優秀監督賞を受賞したカンテミール・バラーゴフ(Kantemir Balagov)監督。ロシアの陰鬱な世界を、イーヤとマーシャの赤と緑を際立たせて描いていきます。特にマーシャが緑のワンピースを着て回転するシーン、サーシャの家でくすんだ緑色の服を着た彼の母親と対峙する場面は印象に残りました。脚本を書くにあたって、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(Svetlana Alexievich)のインタビュー集「戦争は女の顔をしていない」を参照したそうです。

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プロデューサーは「裁かれるは善人のみ」「ラブレス」のアレクサンドル・ロドニャンスキー(Alexander Rodnyansky)。終盤のキーとなるシーンを撮るために、600メートルのセットを用意して博物館から借りだしたアンティ−クの路面電車を走らせたり、アパートの壁紙を何層も重ねて当時の部屋を再現するなど、長編3作目の監督にしては凝った作りになっているのは彼の力なのかも知れません。

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不思議なのは、こういう映画を創れるのに何故いまだにああいう国なんだろうかということ。表面的には見えにくくても、戦争の傷跡は確実に残り、多くの人々を苦しめ続けます。ロシア人に限らず、多くの人に観て貰いたい作品です。

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公式サイト
戦争と女の顔Beanpole

[仕入れ担当]

2022年7月18日 (月)

映画「エルヴィス(Elvis)」

Elvis エルヴィス・プレスリーの生涯を2時間40分で見せてくれる映画です。華やかなステージと数々のヒット曲で楽しませると同時に、マネージャーや家族の生活を一人で背負い込んだ大スターの苦悩を描いていきます。エルヴィスを演じたオースティン・バトラー(Austin Butler)は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」でマンソン・ファミリーの一員、「デッド・ドント・ダイ」で脳天気な若者と、どこにでもいそうな青年役を演じていましたが、一足飛びに主役に抜擢され、見事この大役を演じきっていました。

この映画にはもう一人の主役がいて、それがトム・ハンクス(Tom Hanks)演じるトム・パーカー。通称パーカー大佐(Colonel Parker)として知られるエルヴィスの敏腕マネージャーですが、この悪名高い人物とエルヴィスの腐れ縁のような共依存が物語の主軸となります。善良な役が多かったトム・ハンクスが強欲マネージャーを演じたことにも注目です。

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映画の始まりは晩年のトム・パーカーが自らの人生を振り返る場面。エルヴィスの音楽的成功の立役者であると同時に、その収入の半分をせしめてエルヴィスを追い込んだという毀誉褒貶半ばする生き方を死の床で反芻しています。

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ミシシッピ州で生まれたエルヴィスは、一家が引っ越した先のテネシー州メンフィスで育ちます。多くの黒人労働者が暮らす地域でゴスペルなどを身近に聴いて育った彼は、高校卒業後、トラック運転手として働きながら演奏活動をしていきます。

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そんな折、カーニバルのプロモーターやミュージシャンのマネージャーをしていたトム・パーカーと出会います。白人なのにまるで黒人のような歌い方をするというエルヴィスに興味を持った彼は、腰をくねらせながら歌う姿(Elvis the Pelvis)とそれに熱狂する女性ファンを見て成功を確信し、すかさず両親を説得して契約を結びます。

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エルヴィスには双子の兄弟がいましたが、生まれたときに亡くなり、父親ヴァーノンが服役していた関係もあって母親グラディスに溺愛されて育ちました。

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地元ビールストリートの黒人ミュージシャンたちに魅了され、コミックを読んで超人に憧れます。そんな純朴な青年をトム・パーカーは難なくコントロールし、甘言を弄して家族の協力も取り付けたようです。

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トム・パーカーの見込み通りエルヴィスのインパクトは強力で、瞬く間に人気歌手に上り詰めます。しかし、黒人ミュージシャンのような歌い方やセクシーな歌唱スタイルについては賛否両論で、保守的な層、特に分離主義者から非難や中傷を浴びることになります。その結果、身体を動かさないで歌うという誓約のもと、コンサート開催に漕ぎ着けるのですが、やはりそれは難しく、観客を熱狂させてエルヴィスは逮捕されてしまいます。

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トム・パーカーは保守的な層の取り込みも必要だと考え、エルヴィスを米軍に入隊させます。当時の米国は徴兵制で、エルヴィスのようなスターには特例もあったようですが、敢えて他の若者と同じように2年間従軍することで世間からの非難をかわそうという戦略です。しかし、エルヴィスを溺愛していた母親グラディスのアル中が進み、ほどなく肝炎で亡くなってしまいます。エルヴィスの拠り所は、頼りない父親ヴァーノンと、抜け目のないマネージャーのトム・パーカーの二人だけになりました。

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ある意味、トム・パーカーにとって好都合な展開ですが、エルヴィスは配属先の西ドイツで上官の娘であるプリシラと出会います。つまり彼を溺愛していた母親を失ったかわりに、若い恋人を得たのです。そのためか、除隊後のエルヴィスに対するトム・パーカーの管理はさらに厳しくなり、ライブではなく映画出演が仕事の中心になります。

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しかしそのせいでレコード売上は低迷し、またマーティン・ルーサー・キング・ジュニアやロバート・ケネディの暗殺もあって、エルヴィスは原点の黒人音楽に立ち戻ろうと考えたようです。1968年、ミシン会社のシンガーが提供するTV番組への出演に際し、エルヴィスはトム・パーカーの企画であるクリスマスの衣装でクリスマス・ソングを歌うという案を却下し、プロデューサーのスティーヴ・ビンダーの提案にのって、かつてのヒット曲を歌い上げます。

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結果的にこれが大当たりして、エルヴィスは映画の世界からライブの世界に戻ってきます。ラスベガスのインターナショナル・ホテルで長期公演を行い、国内ツアーも再開します。ただこれにはトム・パーカーの個人的な思惑が関係していて、なぜカジノホテルなのか、なぜ国内ツアーなのか、といった理由が後半の展開の下敷きになっていきます。

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これがエルヴィスとトム・パーカーの愛憎入り交じった関係をギクシャクさせるのですが、結局のところ最後まで二人の関係は維持されたわけで、必ずしもトム・パーカーが悪人だったわけでもなさそうです。「ハドソン川の奇跡」「ペンタゴン・ペーパーズ」のトム・ハンクスが演じても違和感がない程度の後ろ暗さというのでしょうか、明かしたくない闇を抱えただけの人物という印象を受けました。

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監督は「華麗なるギャツビー」のバズ・ラーマン(Baz Luhrmann)。物語の運びも盛り上げ方も素晴らしいものでしたが、特にエンディングのエルヴィスの実写とオースティン・バトラーの演技を融合させた映像は、さすがとしか言いようがありません。

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出演者としてはジミー・ロジャーズ・スノウ役で「パワー・オブ・ザ・ドッグ」のコディ・スミット=マクフィー(Kodi Smit-McPhee)が出ている他、オーストラリアの俳優が多数出ていますが、特にプリシラ役を演じたオリヴィア・デヨング(Olivia DeJonge)とプラダやミュウミュウの衣装が印象に残りました。またちょっと判りにくいかも知れませんが、B.B.キング役は「WAVES ウェイブス」のケルヴィン・ハリソン・Jr(Kelvin Harrison Jr.)です。

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公式サイト
エルヴィスElvis

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2022年7月11日 (月)

映画「わたしは最悪。(The Worst Person in the World)」

Verdens Verste Menneske ヨアキム・トリアー(Joachim Trier)監督の作品は初めてでしたが、カンヌ映画祭で主演のレナーテ・レインスベ(Renate Reinsve)が女優賞を獲った他、米国アカデミー賞の脚本賞にノミネートされるなど(受賞作は「ベルファスト」)さまざまな映画祭で話題を集めていましたので観に行ってみました。

描かれる個々のエピソードにリアリティがあり、映像も使われている音楽もセンスの良さを感じさせる作品です。展開も小気味よく、笑えるシーンもふんだんにあるので、おそらくロマンティック・コメディの一種なのでしょう。とはいえ、手放しで笑えるわけでもなく、終映後、すっきりしないものが残る不思議な映画です。

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レナーテ・レインスベ演じる主人公のユリヤは、学業が優秀だった故に迷いなく医学部に進学したものの、自分は肉体より心に関心があると気付いて心理学に転向するのですが、それにも違和感があり、結局、写真家になりたいと母親に宣言して大学を中退してしまいます。

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書店でアルバイトしながらふらふらしていたところ、たまたま出かけたギャラリーで15歳年上のコミック作家アクセルと出会います。すぐに関係を持ちますが、アクセルは年齢差を理由にもう会わない方が良いと言い、ユリヤはその言葉で恋に落ちて、二人はアクセルの部屋で一緒に暮らし始めます。

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ここまでが序章。この映画は序章と終章とその間の12章で構成されていて、状況の変化やユリヤの心象風景を各章のタイトルにして観客の好奇心を煽りながら物語を進めていきます。第一章はアクセルの家族との出会いで、兄夫婦の子育てを見ながらこの映画の軸となる、家族を持つこと、子どもを産むことについて考えさせられることになります。

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ユリヤは20代の終盤に差し掛かり、いまだ自分探しをしていることに焦りを感じています。アクセルはボブキャットというオオヤマネコ(Gaupe)を主人公にしたコミックを描いて成功したのですが、40歳を過ぎ、そろそろ安定した家庭を手に入れたいと思っています。

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兄夫婦と関わったことで、母親のポジションを与えることでユリヤの自分探しに終止符を打てるというアクセルの思いが顕在化します。しかしユリヤにとってそれは彼女の才能の否定であり、限界を思い知れという上から目線の指図に他なりません。なまじ頭が良いばかりに自分が置かれている状況を把握しており、だからこそ不愉快さもひときわです。当然のように口論がエスカレートしていきます。

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要するに、産む性や母性といった古典的な問題ですね。この映画の不思議なところは、マンスプレイニングといったその手の用語やボブキャットが性差別的だという批判などを織り込み、フェミニズムに目配せしているように見せながら、旧い女性観を打ち破ろうともがくユリヤを好意的に描こうとはしないところ。邦題も英題も原題もみな同じ意味ですが、ユリヤの行動=最悪という点で一貫しています。

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確かに、何らかの方向性を示される度にそれは違うと突き放してしまう彼女の生き方は身勝手かも知れません。とはいえ、誰にもそういった要素はあるわけで、主人公のユリヤより、旧い価値観で生きるアクセルの方が深みのある人物に思えてしまうような映画の作りには戸惑わされます。

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ユリヤは成功しているアクセルに嫉妬し、彼の出版記念パーティを抜け出した帰り道で見ず知らずのパーティに紛れ込みます。そこで同世代のアイヴィンと出会い、お互いパートナーがいるので浮気にならないギリギリの線まで試してみるという遊びをするのですが、この経験のおかげか執筆に目覚め、それを読んだアクセルの勧めでネットに公開して反響を呼びます。

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そしてユリヤの30歳の誕生日。実家で母と祖母に囲まれて祝福されるのですが、母と離婚した父は腰痛を理由に参加しません。後日、ユリヤはアクセルと一緒に、新たな家庭で妻と娘と暮らしている父のもとを訪ねます。そこで父の面倒くさそうな態度を見たアクセルは、父を難詰しようとしてユリヤに止められます。ユリヤの不安定さは父との関係に原因があると考えたのでしょう。帰りのバスの中でアクセルは、君は自分の家族を持つべきだとユリヤを諭します。

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もちろんこれで決着するわけではありません。ユリヤが働く書店に偶然アイヴィンとそのパートナーが来店するのです。アイヴィンは店から出た後、忘れ物をしたフリをして戻ってきて、ずっとユリヤのことを思っていた、湾岸地区のベーカリーカフェで働いていると言って立ち去ります。

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その晩、アクセルの兄夫婦と食事をしながらも、このまま流されて良いものか迷っていたユリヤ。翌朝、目の前のアクセルから離れたユリヤの心は、湾岸地区のアイヴィンの元に飛んでいきます。このシーンが予告編などに使われている、周りの時間が止まった中を駆け抜ける映像なのですが、ここでユリヤの気持ちは固まって、成功したコミック作家のアクセルから、ベーカリーカフェでバリスタをしている発展途上のアイヴィンに乗り換えることになります。

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彼と一緒に暮らしはじめてからも、ヨガインストラクターをしているアイヴィンの元カノに嫉妬したり、マジックマッシュルームを試して強迫観念が露骨に現れる幻覚を見たりするのですが、何となく安定し始めるとまた心の奥から満たされなさが顔を出します。そんなとき、アクセルが膵臓癌で長くないという情報と、妊娠が疑われる状況が同時にやってきて、心が揺れ動くことになります。

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このような感じで、どっちつかずのユリヤを描いていく映画なのですが、何にも縛られたくないという彼女の生き方に共感できる人には刺さる映画なのではないでしょうか。逆に、自意識過剰だった若い頃の自分を思い出してイヤな気分になる人もいるかも知れません。いずれにしても、いくつかのシーンは記憶に残ると思います。

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主演のレナーテ・レインスベは、この監督の「オスロ、8月31日」にも端役で出たそうで、このまま女優になれなかったら大工になろうと考えていたそうですが、本作の成功で次作も決まったようです。アクセル役のアンデルシュ・ダニエルセン・リー(Anders Danielsen Lie)は先日観た「ベルイマン島にて」に出ていましたがこの監督の常連俳優とのこと。対するアイヴィン役のハーバート・ノードラム(Herbert Nordrum)は舞台やTVで活躍しているノルウェーの俳優だそうです。

公式サイト
わたしは最悪。Verdens Verste Menneske

[仕入れ担当]

2022年7月 4日 (月)

映画「リコリス・ピザ(Licorice Pizza)」

Licorice Pizza リコリスのピザなんていかにもマズそうですが、タイトルの由来は食べ物ではなく、かつて西海岸にあったレコード・チェーンの店名だそうです。リコリスの真っ黒な色とピザの円形がレコード盤をイメージさせるということですね。

監督は「ザ・マスター」「インヒアレント・ヴァイス」「ファントム・スレッド」のポール・トーマス・アンダーソン(Paul Thomas Anderson)。15歳の少年が25歳の女性に一目惚れし、年齢差を鑑みずに言い寄るという、この監督にしては驚くほどシンプルなボーイ・ミーツ・ガールのストーリーが、1973年当時の音楽やカルチャーを散りばめて展開します。

物語の中心となる少年ゲイリー・バレンタインを演じたクーパー・ホフマン(Cooper Hoffman)もその相手役アラナ・ケインを演じたアラナ・ハイム(Alana Haim)も映画初出演の上、舞台となるL.A.のサンフェルナンド・バレー(San Fernando Valley)は監督の地元ということで、まるで新人監督のデビュー作のような製作背景ですが、さすがPTA、選曲も映像も相変わらず抜群で、小さな役で大御所が何人も登場します。

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映画の始まりは、学校のアルバム撮影の順番待ちで並んでいる生徒たちの脇を、髪を整えるための櫛や手鏡は要らないかと訊きながら、カメラマンのアシスタントであるアラナが通り過ぎる場面。ふいに行列の中からゲイリーが話しかけ、彼女を食事に誘います。当然、アラナは呆れかえりますが、ゲイリーは自分が子役として稼いでいることをアピールして、レストランTail O' the Cockで待っていると告げます。

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Tail O' the Cockはスタジオシティのベンチュラ大通り(Ventura Blvd)に実在した店だそうですが、なぜ15歳のゲイリーがそこを指定したかというと、母親のPRの仕事を手伝っている関係で店のオーナーと知り合いだったから。彼は母親と弟の3人暮らしで、子役の仕事と並行して母親と働き、さらに弟の面倒も見ていて、15歳でありながら自立心に満ちています。シングルマザーという家庭の事情も関係しているかも知れませんが、米国では小さい頃から大人と対等に扱われるせいか、彼のように早くから大人の世界に入り込む人も少なくないような気がします。

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対するアラナは25歳でいまだ自分探しの途上。父親の不動産業が儲かっているからか、ユダヤ系の家庭はそういうものなのかわかりませんが、母親は専業主婦のようですし、彼女を含む姉妹3人とも働いている様子はありません。70年代初頭という、若者の多くが既成の価値観を疑い、自分らしい生き方を模索していた時代であると同時に、家庭では親の世代が旧い価値観で女性を縛っていた時代だったという背景もあるでしょう。打ち込める仕事を見つけようと果敢にチャレンジしながら、そこで出会う相手との結婚を夢見るという、どっちつかずの状態です。

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結局、アラナがレストランに現れたことで二人は親しくなり、その後、ゲイリーのニューヨークでの撮影に母親のアニタが同行できなくなった際、アラナに付き添いを頼んで二人の距離が縮まります。そこでアラナは俳優のランスと知り合い、L.A.に戻った後に自宅に招くような関係になるのですが、アラナの家族との夕食の席でユダヤ系のランスが“自分は無神論者だ”と宣言したことで、二人の関係も終わってしまいます。

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一方、ゲイリーはたまたま街で見かけたウォーターベッドに惹きつけられます。ビッグビジネスになると踏んだ彼はアラナを雇ってウォーターベッドの通販を始めます。展示会への出展中に人違いで逮捕されたり、ゲイリーがクラスメイトの女の子と仲良くしていることにアラナが嫉妬したり、いろいろ事件が起こるのですが、ウォーターベッドに関するエピソードで最大の見どころは映画プロデューサーのジョン・ピーターズの家への納品でしょう。

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本作の物語は監督の創作ですが、ゲイリーのキャラクターはハリウッドのプロデューサー、ゲイリー・ゴーツマンがモデルになっています。子役として活躍しながら、ウォーターベッドのビジネスを立ち上げ、政治家ジョエル・ワックスのキャンペーン広告の撮影に携わったり、ピンボールの店を開業した人だそうで、彼がPTAに語った話が映画のベースになっているとのこと。

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このジョン・ピーターズも実在の人物だそうで、ヘアメイクとしてバーブラ・ストライサンドと出会い、恋愛関係になった後、彼女が主演した「スター誕生」をプロデュースしたことで地位を築いていったようです。

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ここで繰り広げられるジョン・ピーターズの奇人ぶりも、それに対するゲイリーやアラナの行動も爆笑ものですが、ジョン・ピーターズ役を「スター誕生」のリメイクである「アリー/ スター誕生」に出ていたブラッドリー・クーパー(Bradley Cooper)が演じていることも小さな仕掛けになっています。

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また、女優になりたいというアラナをゲイリーがコネを使ってエージェントに紹介したりするのですが、その流れでアラナがオーディションを受けにいくジャック・ホールデンは実在の俳優ウィリアム・ホールデンがモデル、彼がアラナを誘って出かけたレストランで出会う映画監督レックス・ブラウは、ホールデン主演でグレース・ケリーが共演した「トコリの橋」の監督マーク・ロブソンがモデルで、そこにサム・ペキンパーの破天荒ぶりを重ねたようです。

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そのジャック・ホールデンを演じているのがショーン・ペン(Sean Penn)、レックス・ブラウを演じているのがトム・ウェイツ(Tom Waits)で、共に酔っ払い役が板に付いているというものの、どちらかというと、この程度の役にこれほどの大物をキャスティングしてしまうPTAの凄さに感心してしまいます。

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出演者でいえばPTAの妻であるマーヤ・ルドルフ(Maya Rudolph)がロケ地が近所だからか「インヒアレント・ヴァイス」に続いて出ているのですが、ゲイリー役のクーパー・ホフマンがPTA作品の常連俳優だったフィリップ・シーモア・ホフマンの息子であることにも注目でしょう。父子二代にわたって彼の作品を支えます。

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またアラナ役のアラナ・ハイムは、サンフェルナンド・バレー出身の三人姉妹バンド、ハイム(HAIM)で活躍している三女です。このバンドのRight Now(→Youtube)やLittle of Your Love(→Youtube)のミュージックビデオをPTAが撮影した関係で、よく知った仲なんだそうです。ちなみに実際の家族がそのまま映画の中でも両親と姉妹を演じています。

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ベトナム戦争の泥沼化や、第四次中東戦争によるオイルショックといった当時の時事ネタが、現代社会の出来事と呼応しているあたりも興味深い作品ですが、エンディングはボーイ・ミーツ・ガールらしいベタな展開になります。要するに、社会規範を気にして気持ちを押し殺すのではなく、自分が思うように生きていこうということ。主人公たちの疾走シーンがやたら目立つ映画ですが、込められたメッセージも爽快な作品です。

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公式サイト
リコリス・ピザLicorice Pizza

[仕入れ担当]

2022年5月30日 (月)

映画「帰らない日曜日(Mothering Sunday)」

Mothering Sunday 英国人作家グレアム・スウィフト(Graham Swift)が2016年に発表し、ホーソーンデン賞に輝いた小説の映画化です。こういった評価の高い小説を映画にすると、原作と印象が変わったり、趣きが損なわれていてがっかりさせがちですが、2018年の「バハールの涙 」で評判を呼んだエバ・ユッソン(Eva Husson)監督が原作の内容とスタイルを踏襲しつつ巧みに構成し、英国映画らしい作品に仕上げています。

物語の舞台はバークシャー。レディング(Reading)やヘンリー(Henley)といった実在の地名も出てきますが、その界隈のどこかにあるピーチウッド邸で働く一人のメイドと、邸宅の主が親しく付き合っている近隣の家族が繰り広げるシンプルな物語です。といっても語り口は単純ではなく、1924年3月30日のマザリング・サンデーを後の時代から振り返る形で時間軸を縦横無尽に行き来しながら物語が進んで行きます。

マザリング・サンデーというのは、元々は宗教的な意味合いを持つ日だったようですが、この時代には屋敷の使用人に里帰りのための休日を与える日といった程度の位置づけだったようです。どこにも帰る場所のない孤児のメイドが、一人で過ごすべき休日を一人で過ごさなかったことが物語の発端になります。

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ピーチウッド邸には主人のゴドフリー・ニブンと妻クラリー(クラリッサ)が暮らしています。彼らにはフィリップとジェームズという息子がいたのですが、二人とも第一次大戦で失い、壮年夫婦だけの暮らしになって、使用人を料理番のミリーとメイドのジェーンだけにしたようです。

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このジェーンがこの物語の主人公。1901年に孤児院の前に捨てられて14歳で奉公に出され、その2年後の1917年にピーチウッド邸に上がりました。姓はフェアチャイルドといいますが、これはグッドチャイルドやグッドボディと同じく孤児に付けられがちな名前だそうです。生まれた日のわからない彼女に与えられた誕生日は5月1日で、1924年3月30日の当時は22歳ということになります。

彼女はピーチウッド邸で働きはじめてすぐ、町の食品店(原作ではティザトンの郵便局)でシェリンガム家のポールと出会います。彼の家はピーチウッド邸から1マイル(約1.6km)ほど離れたアプリィ邸で、シェリンガム家もニブン家と同じくフレディとディックという息子二人を戦争で失い、末っ子のポールが唯一の跡取りです。

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ジェーンはポールに誘われ、秘密の逢瀬を重ねることになります。当初は金銭のやりとりがあったようですが、次第に合歓への関心を共有する関係、ポールいわく“友だち”になっていきました。つまり6年あまり恋人のような関係が続いてきたわけです。

しかし23歳になったポールは、近隣の裕福な一族、ホブディ家の令嬢エマ・キャリントン・ホブディと近々結婚することが決まっています。名家はそれぞれの財産が散逸しないように姻戚関係を結んでいくわけですが、この仲間内ではポールしか男子が残っていませんので、彼がエマの許嫁になるのもある種の必然なのです。

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そして1924年のマザリング・サンデー。邸宅の主たちは、使用人がいなくても不便を感じなくて済むようにヘンリー河畔のジョージホテルで会食する予定になっています。原作ではポールとエマは親たちとは別にボリンフォード(Bollingford:架空の地名です)のスワンホテルで会うことになっているのですが、映画ではニブン家を含む三家族全員が一堂に会する設定に変えられていて、法律の勉強がしたいので遅れていくというポールを皆が待つことになります。

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もちろんポールの勉強というのは言い訳で、両親も使用人も出払った隙にジェーンを屋敷に呼ぶのが目的です。なぜなら、エマとの結婚式の後、法律家として独り立ちするため夫婦はロンドンで暮らすことが決まっていて、今までのようにジェーンと会うことができなくなるから。

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つまりジェーンをアプリィ邸に招き、普通の恋人のように正面のドアから入れられる最初で最後の機会なのです。この時代の英国のことですから、階級社会は今より厳然としたものだったでしょう。小説のエピグラフに“お前を舞踏会に行かせてやろう”という、おそらくシンデレラからの引用が添えられていますが、孤児のメイドであるジェーンにとって魔法のような瞬間だったと思われます。

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とはいえ、ジェーンにとって魔法のような出来事はその後も起こり、1924年10月にメイドをやめてオックスフォードのパクストン書店で働くようになり、そこで哲学者のドナルド・キャンピオンと出会って結婚し、作家になって大成します。

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大御所として老年期を迎えた作家が“自分が作家になった瞬間”として、生まれたときが一度目、パクストン書店の主からタイプライターを貰ったときが三度目、そしてメイドをしていた頃の3月の晴れた日が二度目だったと思い起こしているのがこの小説なのです。

映画も小説と同じく、メイド時代の場面とドナルドと会ってからの場面が入れ替わりに描かれていきますが、ドナルドからそれについて質問された際、生まれたとき、タイプライターを貰ったとき、そしてもう一つは秘密だと答えています。

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ジェーンと寝室で過ごし、最後の逢瀬を楽しんだポールは遅れ気味でアプリィ邸を出発します。ヘンリー河畔では、ニブン夫妻、シェリンガム夫妻、ホブディ夫妻とエマの7人がテーブルを囲んで彼の到着を待っているわけですが、エマがいらつくのは当然として、ニブン夫人のクラリーが突然、感情を爆発させます。

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これは小説にはない場面で、おそらくこの物語の背景にある戦争の本質を強調するために付け加えられたのだと思います。そのためか、原作では印象の薄いクラリーに、敢えて「女王陛下のお気に入り」の名優オリヴィア・コールマン(Olivia Colman)を配し、その夫、ゴドフリー・ニブンを演じるコリン・ファース(Colin Firth)に困惑した表情をさせる場面を作り出しています。

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ほぼ原作に忠実に作られている映画ですが、大きく違う部分としてはドナルドが黒人だということがあります。小説では、ポールに似ていたからドナルドに惹かれたという設定になっていますが、監督に何らかの意図があり、敢えて人種を変えて、まったく違うキャラクターにしたのだと思います。

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もう一つ、些末なようで、後に小説家になるジェーンの設定としては割と重要なことだと思いますが、彼女の文学の好みが変えられています。R.L.スティーブンソンの「誘拐されて(Kidnapped)」が出てくるのは同じなのですが、小説で重点を置かれている「青春(Youth and Two Other Stories)」ほかジョゼフ・コンラッドの作品への熱い思いが消え、代わりにヴァージニア・ウルフの作品に言及します。これはちょっとチグハグですので、単に監督の好みのような気がします。

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主役のジェーンをオーストラリア出身のオデッサ・ヤング(Odessa Young)、相手役のポールを英国人のジョシュ・オコナー(Josh O'Connor)が熱演しています。コリン・ファースやオリヴィア・コールマンの巧さもあって、全体としてバランスの良さを感じさせる作品でした。

公式サイト
帰らない日曜日Mothering Sunday

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2022年5月23日 (月)

映画「ワン・セカンド 永遠の24フレーム(一秒钟)」

One Second チャン・イーモウ(张艺谋)というと大掛かりな歴史アクションから「妻への家路」のような人間ドラマまで幅広く手がけている監督ですが、本作は「妻への家路」と同じく文化大革命の時代、下放によって家族との繋がりを断たれた人物を描いていく作品です。

大筋は、西域の労働改造所(劳改农场)に送られた主人公が、ニュース映画に映っているという娘を一目でもみたいと映画を観にいくお話ですが、その下地として、古き良き時代の映画に対する監督のノスタルジックな思いを余すことなく盛り込んでいることが特色。その昔、年に数回しかやってこない映画を心待ちにし、上映時には祭りのように熱狂していた地方の人々の姿を丁寧に映像化しています。

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時代は1975年。6年前に造反派(革命を先導した人々)と喧嘩したことで、労働改造所に送られた主人公の男は、映画本編の前に上映されるニュース映画・第22号に娘が映っているいう手紙を受け取ります。危険を顧みず労働改造所を脱走し、広大な砂漠を横切って一分场という小さな集落に到着しますが、時は既に遅く終映後。フィルムは運搬係のバイクに積み込まれていました。

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次の上映場所を運搬係に訊こうとしていると、夜陰に紛れて子どもが現れ、フィルムを一缶、バイクのキャリーバッグから盗んで走り去ります。これでは映画が観られないと、追いかけてフィルムを取り返しますが、元の場所に戻ると、運搬係は盗まれたことを知らずに出発した後。フィルムを持った主人公がバイクの行き先である隣の集落、二分场に向かって歩いていると、またもや夜陰に紛れて先ほどの子どもが現れ、フィルムの取り合いになった末、その子が少女であることがわかります。

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荒涼とした砂漠の一本道を歩いていく主人公の後を昨晩の少女がずっとついてきます。主人公が、一分场で盗んできた干魚をあげようと放ってやると、少女はそれを拾うついでに動物の骨を拾い、隙をみてその骨で主人公の後頭部を殴ってフィルムを奪い返します。そのような感じで、取ったり取られたりを繰り返し、その過程で主人公や少女の背景が明かされながら、結局は少女がフィルムを持った状態で二分场に到着します。

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しかし少女は運悪く麺店で主人公と出くわしてしまい、取り上げられたフィルムは、ちょうど同じ店で食事していたファン電影(范电影)の手に渡ることになります。ファン電影というのはこの集落で唯一の映写技師で、映画館を管理して映画を上映するだけでなく、フィルムの扱いから映画の内容にまで精通し、皆から敬愛されている人物です。

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彼が渡されたフィルムを見て、今回上映される作品「英雄儿女(英題はHeroic Sons and Daughters)」の第六巻だと確認したことで一件落着となりそうですが、実はそこから先が監督が映像化したかった部分だと思います。当時の映画を取り巻く状況が克明に描かれていきます。

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ちなみに彼らが食べている麺は、ビャンビャン麺と呼ばれるきしめんに似た幅広の手延麺。陝西省の名物だそうで、西安で生まれ育ったチャン・イーモウにとって馴染み深い食べ物です。この麺を見せることで北西部に砂漠が広がる陝西省が舞台であること、ファン電影が店主から賄賂的にラー油(油泼辣子)をサービスしてもらうことで、映写技師に対する尊敬のほどがわかります。

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運搬中のトラブルで汚れてしまったフィルムを洗浄する場面や、スクリーンを照らす光の前にニワトリや自転車をかざして影絵のように楽しむ観客たちを見せることで、この時代の映画を取り巻く環境を示すと共に、満席で館内に入れず、スクリーンの裏側から逆版で観賞する人までいることや、何度も観ている作品なので観客全員がテーマ曲の「英雄賛歌」を歌えることなど、当時の人々の映画に対する思いを伝えます。

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また映画のフィルムで電球の傘を作るのが流行っていたという社会風俗も垣間見せてくれます。

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いろいろあった末、主人公はニュース映画(新闻简报)第22号を観ることができます。彼が労働改造所に送られた1969年に8歳だった娘は、6年経った今は14歳になっているはずです。目を凝らして見つめていると、ニュース映画の一部である「全心全意为人民·河北(≒全力を注いで人民のために・河北編)」に、食糧店(粮店)で穀物の袋を担いで懸命に働く娘の姿を見つけます。

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その場面で主人公が、そんなに頑張ることはなかったのに、と呟くのですが、観客はちょっと唐突な感じを受けると思います。実はその前段があり、最終版ではそれがカットされてしまったことで背景が判りにくくなっているそうです。

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まず、娘がなぜ大変な仕事に精を出さなくてはいけなかったかというと、犯罪者の娘なので人一倍努力して認められなくてはならなかったから。そして、主人公がなぜ一瞬しか映らない娘の映像にこれほど執着したかというと、その映像が撮られた後に娘が死んでしまったから。おそらく主人公は、自分が罪を犯したことで、娘が犠牲になったと考えているのです。

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この映画は2019年のベルリン映画祭で上映される予定でしたが、直前にポスト・プロダクションの段階で問題が生じたとして出品が取り下げられました。その際、当局の検閲が入り、娘が死に至る経緯や理由を説明した部分を削除して編集し直したのではないかと言われています。

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おかげでやや不自然な部分がありますが、とはいえ、砂漠や砂嵐の映像といい、70年代の町並みといい、さすがチャン・イーモウという凝った作り込みですし、何より映画愛が溢れていて、細部に見どころの多い映画だと思います。

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主人公を演じたのはチャン・イー (张译)。ジャ・ジャンクー監督の「山河ノスタルジア」でやり手のジンシェンを演じていた他、「帰れない二人」にも出ていました。今回は悪質分子(坏分子)呼ばわりされながら、ほのかに人情を感じさせる複雑な役柄を好演していたと思います。

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彼とフィルムを奪い合う少女を演じたのは、オーディションで選ばれたというリウ・ハオツン(劉浩存)。チャン・イーモウが見出しただけあって目に力のある女優さんです。そしてファン電影役はベテランのファン・ウェイ(范伟)。おそらく監督の分身なんでしょうね。一人の映写技師というより、映画に熱狂する集落の人々の指導者のようでした。

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ワン・セカンド 永遠の24フレーム一秒钟

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2022年5月16日 (月)

映画「ベルイマン島にて(Bergman Island)」

Bergman Island ミア・ハンセン=ラブ(Mia Hansen-Løve)監督の新作です。ベルリン映画祭で監督賞に輝いた「未来よ こんにちは」に続いてインドのゴヤを舞台にした「MAYA」という作品を撮ったようですが、日本では公開されませんでしたので、彼女の映画は5年振りということになります。舞台となるスウェーデンのフォーレ島(Fårö)はイングマール・ベルイマン監督が作品を撮り、晩年を過ごした場所です。

バルト海最大の島であるゴットランド島の北西部に浮かぶ小さな島で、空港があるゴットランド島から無料フェリーで30分で渡れます。面積は111.35㎢といいますので伊豆大島よりひとまわり大きいわけですが、人口は約500人と大島の1/10しかいませんので、産業は牧畜と漁業の他、ベルイマン頼みの観光といったところのようです。

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映画の始まりは機内で女性が“もう二度と飛行機に乗りたくない”と男性に言っている場面。そして二人が車を借り、カーナビにDAMBAと入力してカーフェリーでフォーレ島に渡る場面が続きます。男性の名はトニー、女性の名はクリス。観ているうちにトニーは既に一定の評価を得ている映画監督、女性のクリスはかけだしの映画監督だとわかってきますが、おそらく2017年まで夫婦だったオリヴィエ・アサイヤスとミア・ハンセン=ラブの関係を下敷きにしているのでしょう。

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二人はアーティスト・イン・レジデンスのような制度を使って、ダンバ(Dämba)にある「ある結婚の風景」を撮影した家に滞在するようです。トニーは自作の上映会などベルイマン週間のイベントに参加しなくてはなりませんが、クリスは日がな一日、コテージの向かいにある風車小屋の上階を書斎にして新作の構想を練ります。関係者と交流するのは会食のみです。

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夫婦は、島内の名所を巡るバスツアー“ベルイマン・サファリ”に参加する予定でしたが、クリスはそれをすっぽかしてミュージアムショップでビビ・アンデショーン(Bibi Andersson)風のサングラスを購入し、教会で知り合った青年ハンプスの案内でベルイマンの墓所やウラハウ(Ullahau)呼ばれる砂丘、島の北端のビーチ等を訪れます。

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ちょっと可笑しかったのは、ビーチからの帰り道にハンプスが突然“ラムスキンを買いたい?”と訊いたところ。彼は映画を学んでいる学生だと自己紹介していたのですが、何の脈絡もなくゴットランドシープの話になり、農家の庭先に車を停めて"ちょっと高いけど黒いやつが毛足が長くていい"と毛皮を勧め始めるのです。

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絨毯屋や陶器屋に連れて行ってバックマージンを貰うツアーガイドみたいだなぁと思いながら観ていたら、クリスは2枚も毛皮を買っていて、一体このシーンを加えた意図はなんだろうと不思議な気分になりました。ちなみにハンプス役を演じたのはハンプス・ノーデルセン(Hampus Nordenson)という駆け出しの映画監督のようですが……。

フォーレ島は羊の毛皮だけでなく羊肉も有名なようで、ベルイマン・サファリに参加したトニーはラムバーガーの店に連れて行かれていていました。調べてみたらフォーレガーデン(Fårögården)という有名店のようで、これまた観光ガイド的ですね。

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そのような感じで、トニーとクリスのフォーレ滞在記が進んでいくのですが、並行してクリスが執筆中の脚本が劇中劇の形で描かれます。彼女が構想しているのは、若い頃に交際していたカップルが、フォーレ島での友人の結婚式に招かれて再会するという話。クリス曰く“1度目の出会いは早すぎて2度目は遅すぎた”物語です。

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男性はヨセフ、女性は米国人の映画監督エイミーで、10代の頃に恋愛関係になり、成人してから一度再燃したものの再び破局しました。今はそれなりの年齢になって共にパートナーがいるわけですが、フォーレ島へ向かう途中で一緒になり、エイミーの気持ちに火が点きます。周りの人々は二人の関係を知らないようで、彼らが会話していても特に気にする様子はありません。

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ヨセフはビストロ・アルバトロスの敷地にあるベルイマン・スイート(Slow Train B&B)に仲間と同宿し、エイミーはスダーサンド(Sudersand Resort)のコテージを一人で借りたようです。地図を見ると自転車で20分ほどの距離ですが、離れたところに泊まっていることが後の展開で意味を持ってきます。

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二人とも結婚式に関する小さな問題を抱えていて、ヨセフは空港でネクタイを買い忘れただけですが、エイミーは白いドレスを持ってきたので、それを式で着て良いか、新婦に訊かなくてはなりません。白を着るのは新婦のみだと言われ、結局、他の服で参列することになるのですが、エイミーは間違えて持ってきたのではなく、白いドレスを着たかったのではないかという含みを持たせるところがクリスの脚本の仕掛けなのでしょう。

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この再会のストーリーをトニーに語り、最後をどう終えるか迷っていると相談するのですが、トニーはアドバイスするわけでもなくただ聞いているだけ。書くのがイヤなら主婦になれば良いといった突き放した態度のトニーに、クリスの創作意欲も削がれます。

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彼ら夫婦の微妙なバランスに、エイミーと関係を持ちながら距離を置こうとするヨセフの振る舞いが重なってきます。そこに、生涯5度結婚したほか愛人と子どもをもうけ、その子どもたち全員を女性に任せっきりにしていたというベルイマンの私生活や、彼の作品である「ある結婚の風景」や「仮面/ペルソナ」の内容が絡んできて、物語そのものは単純なのに観ているうちに複雑な感情を抱かせるように作られた映画です。

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また全般的に明るい印象の映画なのですが、たとえば劇中劇の結婚披露宴で盛り上がるシーンでは、アバのThe Winner Takes It Allのポップな曲調に乗せた恨み節がエイミーの心情を代弁していたり、明るさの裏にある暗さのようなものを随所で感じさせます。

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終盤はクリスがベルイマンの終の棲家を訪れ、ハンプスと再会したあたりから現実の世界と作中の世界の境界が曖昧になります。劇中劇のエイミーの感情とそれを撮っている監督クリスの感情がない交ぜになり、向こう側に引き釣り込まれそうになりながら踏みとどまるという夢か幻かわからない場面。本作でベルイマンを巡って議論される“作家の私生活と作品は区別すべきなのか”に対する一つの回答のような気もしますし、幻想的なベルイマン作品へのオマージュなのかも知れませんが、解釈に迷うシーンです。

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クリス役を演じたのは「ファントム・スレッド」のヴィッキー・クリープス(Vicky Krieps)、トニー役は「或る終焉」のティム・ロス(Tim Roth)。トニーは最後のシーンで娘からなぜ幽霊の映画を撮るのかと訊かれますが、これはきっと「パーソナル・ショッパー」に絡めた楽屋落ちでしょう。

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その「パーソナル・ショッパー」で義姉ララの恋人役だったアンデルシュ・ダニエルセン・リー(Anders Danielsen Lie)がヨセフ役、最近あまり見かけなくなった「イノセント・ガーデン」のミア・ワシコウスカ(Mia Wasikowska)がエイミー役を演じた他、ドキュメンタリー作家で映画監督のスティーグ・ビョークマン(Stig Björkman)が本人役で出ています。

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ベルイマン島にてBergman Island

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2022年5月 9日 (月)

映画「パリ13区(Les Olympiades)」

Paris 13e オランピアード(Olympiades)はメトロ14号線のターミナル駅ですので、地下鉄の行先表示で目にする機会も多いかと思いますが、レ・ゾランピアード(Les Olympiades)はその駅名の由来になった住宅団地です。メトロの出口があるトルビアック通りから階段を上がった人工地盤の上に街区が形成されていて、低層部に庶民的な店舗が入った高層住宅の間を抜けてイブリー通り側に降りると、その先にはショワジーのトライアングル(Le triangle de Choisy)と呼ばれる中華街が広がるアジア系の多いエリアです。

そんな13区ですから観光客はあまり足を向けないかも知れませんが、オムニバス映画「パリ、ジュテーム」の一編もこの団地の広場で撮られていますし、モナドのブログでも仕入れの際に訪れたレ・ゾランピアード下の中華系スーパー陳氏商場(こちら)やコルヴィサール駅そばのバスク料理屋(こちら)をご紹介しているように、それほど特別な場所ではありません。

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この映画はそのレ・ゾランピアードの団地に住む中華系女性エミリーを起点に、彼女のルームメイトとして一時的に同居することになるアフリカ系男性カミーユ、彼の同僚になる白人女性ノラが繋がっていく物語。ざっくりいえば三角関係ですが、フランス映画らしい理屈っぽい恋愛模様が描かれていきます。

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監督は「預言者」「君と歩く世界」「ディーパンの闘い」ゴールデン・リバー」のジャック・オーディアール(Jacques Audiard)。しかし脚本に「燃ゆる女の肖像」の監督セリーヌ・シアマ(Céline Sciamma,)と「アヴァ」の監督レア・ミシウス(Léa Mysius)が参加している関係か、オーディアール作品にみられる身体性や暴力性より、性愛の描写が前面に出ている印象です。

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ほぼモノクロ映像で撮られているせいか、13区の庶民的な街並みがスタイリッシュに見えます。それに加えて使われている音楽が洒落ていて、オープニングタイトルの曲(Youtube)を聴いてMobyかと思って調べてみたら、全曲Rone(spotify)というフランスのミュージシャンが手がけたそう。映像と音楽が醸し出す洗練された雰囲気と、出演者のリアリティある等身大キャラクターが相まって、まさにフランス映画という仕上がりになっています。

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インパクトある導入部分から画面の四隅に文字が現れる気取ったタイトルバックに切り替わり、エミリーが暮らす団地の部屋にカミーユが訪ねてくる場面で物語が始まります。その部屋は元々エミリーの祖母の持ち物で、介護施設に入った祖母のかわりに彼女が暮らすようになったようです。

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携帯電話会社のコールセンターでオペレータをしながら、空きスペースで副収入を得ようとルームメイトを募集したところ、カミーユから申し込みがあり、名前から女性と勘違いして承諾してしまったことがわかります。

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カミーユはイヴリーのフェルナン・レジェ高校(lycée Fernand Léger, Ivry)で国語教師をしていましたが、上級資格を取得するため大学に通うことにしたようです。13区の北側から5区のカルチェ・ラタンにかけては大学の多いエリアですし、13区の南側を走る環状道路を越えた先がイブリーですから、レ・ゾランピアードはとても便利な立地なのです。

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一旦は男性と知って追い返そうとしたエミリーですが、気が変わってルームメイトとして受け入れ、すぐに男女の関係になります。しかし、カミーユに惹かれていくエミリーに対し、君は好みではないと言い放つカミーユ。その態度に業を煮やしたエミリーは、関係を解消して純粋なルームメイトとして接すると宣言します。

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その提案を快く受け入れるカミーユと、気持ちの整理ができないエミリー。

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ある日、友だちが訪ねてくるとカミーユから言われ、時間つぶしのパーティに出かけたエミリーが帰宅すると、キッチンに裸の女性が……。彼女はカミーユの同僚だったステファニーで、どうやら以前から関係が続いているようです。

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一時的にせよ、関係のあった相手の部屋に他の女を連れ込むのは許せないと憤るエミリー。数日後、カミーユの留守中に部屋にいたステファニーに嫌みを言ったことがきっかけになり、カミーユは家賃を清算して出て行くことになります。

ここまでがエミリーとカミーユの話で、続いてノラの話に切り替わります。

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彼女は大学を出てから、叔父が経営する不動産屋で働いていた33歳の女性。パリ第一大学(パンテオン・ソルボンヌ)の法学部で学び直すためパリに出てきたようです。彼女が住むことになるのは13区の東端、ミッテラン図書館裏手のアパートで、窓からセーヌ川を眺めて地元ボルドーを離れた開放感に浸ってます。

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明るい未来が拓けていくと思ったのも束の間、若いクラスメイトたちと打ち解けようと、学生たちのパーティに気張って出かけたことが仇になります。ブロンドのウィッグをつけてばっちり化粧したノラの外見がカムガールのアンバー・スウィートに酷似していたのです。

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カムガールというのはビデオチャットを通じてエロティックなサービスを提供する女性のことで、その少し前に男子学生たちが誕生パーティの余興で彼女の番組にアクセスしていました。学生たちはノラのことをアンバー・スウィートだと思い込み、彼らに揶揄されることに耐えられなくなったノラは、結局、退学してしまいます。

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ノラは長年にわたって叔父と関係を持っていたようで、それもあってボルドーに帰るわけにいかず、パリで仕事を見つけることになります。そこで応募したのがカミーユの親類が経営する不動産屋で、一時的に任されたカミーユが求人を出したようです。不動産業が素人のカミーユと10年のキャリアを持つノラの組み合わせがうまくはまって仕事がまわりはじめ、当初は線引きをしていた二人の関係も変化していきます。

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ノラは叔父のせいか性的に不安定で、そのことをカミーユがエミリーに相談して13区内の3人が繋がっていくのですが、ノラは好奇心でアクセスしてみたアンバー・スウィーとビデオチャットを通じて関係を深め、エミリーはマッチングアプリを駆使して性的なリアルを求め続けているのに対し、カミーユは相変わらず煮え切らないままです。

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こうして心と体のバランスがうまくとれない3人に、画面の向こうのアンバー・スウィートを加えた流動的な人間模様が描かれていくことになります。監督はエリック・ロメール「モード家の一夜」にインスパイアされたと語っていましたが、優柔不断な男性を触媒にして物語が進む構造が似ているかも知れません。人工的な街で繰り広げられる生々しく人間的な言い合いも、フランス映画らしいエンディングも良い感じでした。

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エミリー役のルーシー・チャン(Lucie Zhang)は長編映画初出演とは思えない熱演でしたが、おかげでセザール賞やリュミエール賞の新人賞にノミネートされました。ちなみに彼女はパリ13区で生まれ育ち、その後、親が中華料理店を開業して16区に引っ越したとのこと。いきなり高級住宅地にジャンプアップですね。2000年10月生まれで現在はドーフィン大学の学生だそうですからきっと成績も優秀なのでしょう。今後が楽しみな女優さんです。

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カミーユ役のマキタ・サンバ(Makita Samba)もパリ出身で、舞台俳優でスタートして今はTVドラマや短編映画で活躍しているようです。ノラ役は「燃ゆる女の肖像」のノエミ・メルラン(Noémie Merlant)で、彼女もパリ出身ですが育ちはナント近郊とのこと。実家が不動産業だそうで、フランス南西部出身というあたりも含めて役柄の設定に近い感じです。

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そしてアンバー・スウィートを演じたジェニー・ベス(Jehnny Beth)。ポアティエ出身のミュージシャンだそうで、英国のポストパンク・バンド、サヴェージズ(Savages)のヴォーカルとして活躍中とのこと。アレックス・ガーランド監督の映画「エクス・マキナ」に楽曲を提供したようです。

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パリ13区Paris, 13th District

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